「朝の図書館、清々しいと思いませんか」
驚いたままの比嘉の方へ向き直った川端は、ほんの少し微笑んでいた。まだカーテンを締め切っているが、漏れ入っている朝の光の中を背にしているため逆光だったが、その表情ははっきり見て取れた。
「僕はね、学校の図書館というのはその学校の中で最も神聖な場所だと思っている。
中でも大学は格別だ。昼間は学問に勤しむ学生達の熱気に溢れている。そして、閉館後は水を打ったように静まり返っている。こうやって毎朝、1日で積もった勉学に励む学生達の汗やほこりを拭き清め、毎日新たな気持ちで臨んでもらうのが、我々学校図書館の司書の役割だと僕は考えているんですよ」
抑揚のない話し方だが、何故か誇らし気に聞こえる。
「比嘉さん。前職は県立図書館でしたね?」
大学を出た後、比嘉は長年県立図書館に勤めていた。途中で指定管理者制度が採用され民間企業の経営となり、比嘉もそのまま残っていたのだが、営利第一主義の上司の方針に馴染めず退職したのだった。結婚したばかりで悩んだ末だったが、比嘉に負けず劣らずのんびり屋の妻に
「あなたが良いようにしたら~?」
と背中を押された。ちょうどその頃Bs大学の図書館で正規職員の採用試験があると知り、応募したのだった。
「あなたの志望動機。大学図書館という、学問に勤しむために学生が集う場所で、これからの日本を担うであろう若者の助けになりたい、という言葉。あれに僕は感激したんですよ」
初めて、川端が笑った。
「うちは給料もそんなに良くない。正職も3人だから業務も多く決して楽とは言えない。ですが、そんなところでも志を持って来てくれたあなたと、是非仕事がしたいと思いましたよ。
よろしくお願いしますよ」
そこまで話すと、川端はさっさと事務所へと戻っていった。
比嘉は感激した。面接の時、果たして自分に関心を持ってくれているのか、と疑問に思い、原にも扱いにくいと散々聞かされていた川端がこんなに自分を買ってくれていたとは、意外だった。志望動機はある程度は本心だが、そこまで大袈裟に考えていなかった。しかし、川端にそう受け取られている以上、学生達が使いやすい、素晴らしい図書館を作りたいと心から思った。
図書館も開館し、大学の一講目が始まった。今日は今学期最初の講義の日なので比較的出席率は良いが、図書館にくる学生はそう多くない。翌週に各学科のオリエンテーリングがあり、その時に院生が中心となって新入生を案内してくるため、新入生がやってくるのはそれ以降が多くなるとの事だった。
(まだ少しは仕事に慣れる時間がありそうだなぁ~)
カウンターに座り、新規購入した書籍の整理をしようとしたその時だった。
玄関の自動ドアが空くと同時に、息せき切った原がつんのめりそうになりながら駆け込んできた。
「原さん~、どうしたんですか?」
常に賑やかだが、川端の影響もあって閲覧室では静かに振る舞う原のただならない様子に、比嘉は驚いた。
「か、川端さんは今日1日館内業務ですよね?」
川端はたまに会議で校舎の方に行くことがあるが、今日の予定はなにもなかった。
「あぁ~!新学期始まってこんなに早く奴が戻ってくるとは…比嘉さんにもまだ説明してなかったのに~」
「一体、何事ですか?」
川端は事務所内でパソコンを叩いている。午前中はカウンターには出てこない予定だった。そっと事務所をのぞき、普段と変わらない川端の様子を確認した原は、深呼吸を何度か繰り返すと
「比嘉さん。
今日から、ここで戦争がはじまりますからね」
いつもなら茶化して話しそうなのに、一切笑っていない原の目が、比嘉に底知れぬ恐ろしさを感じさせた。
続く