「せ、戦争って…?」
事務所に戻り、お茶を一口飲んで戻って来た原は、川端から見えない位置に比嘉を連れて行った。
「川端さんには、天敵とも言える学生がいるんです。
彼は院生で、考古学の専攻だから現場の発掘作業に行くことが多くて学内に居ないことも多いんですけど、どうやら、春休みが終わって帰って来たらしい…」
原の話が終わるか終わらないかの内に、自動ドアが開いた。
ゆっくりと入って来たのは、ごく普通の見た目の男子学生だった。どちらかというと、穏やかで人の良さそうな感じを受ける。
「来た…」
原は静かに彼の行動を見つめている。こんな感じの良い学生が何故?と比嘉が原にこっそり聴こうと思った時、学生の持っていたリュックサックの開きっぱなしのチャックから本が雪崩れ落ちた。
「大丈夫かい?」
オタオタするでもなく、ゆっくり本を拾う学生を見兼ねた比嘉がカウンターを出て駆け寄り、本や書類を拾った。
「いや~すいません…」
頭を掻きながら学生は比嘉にニコニコと謝罪した。元々目は細めのようだが、笑うと更に細くなり親しみがわく表情になった。彼に対して全く嫌な感じは受けない。よく見ると、そのリュック以外にも大きなトートバッグを持っていたおり、そちらにも本が満杯だった。
「かなり勉強してるんだね~」
原の話を一瞬忘れ、比嘉は感心して思わず話しかけた。
「いや、本から得られるものはわずかです。現場に勝るものは何もありませんよ。
僕にとっては、現場で得たものを確認するのに使うだけですよ」
しっかりした学生じゃないか、と感心した比嘉がカウンターを振り返ると、そこには無表情で立っている川端と、早く戻れ、とジェスチャーで合図を送る原がいた。
学生はそのままカウンターを通過し、奥のテーブルにリュックとバッグをドサっと置くと、さっさと書架の方へと消えて行った。
その様子をじっと見ていた川端の表情は、不気味な程無表情だった。
「比嘉さん、こっち!」
比嘉は原に袖を引っ張られ、奥に引き込まれた。
「ヤバいですよ…彼は川端さんにとって、本と図書館を侮辱する存在なんですよ!」
「え?どういう…」
まずはこれ、と原はほうきとちりとりを比嘉に手渡した。
「かれの通った後は砂だらけ。まだこの時期はましだが、梅雨になるとそれが泥になる…
さ、川端さんがカウンターから出る前に掃いて下さい!」
背中を押されるまま閲覧室に戻ると、確かに学生の通った後は砂や草が混じった物が点々と落ちている。それは、一旦荷物を置いたテーブルのまえで止まり、そのまま彼が消えて行った書架の辺りまで続いている。書架の列を覗くと、確かに彼が本を探して立っていた。
(ヘンゼルとグレーテルみたいだなぁ…)
原の怖れとは逆に、比嘉は何だかこの学生に興味が湧き、面白くなってきた。
「靴、かなり汚れてるみたいだね~」
学生は振り向き、人懐っこい笑顔で頭を下げた。
「現場に行ってた靴なもんで。すみませんいつも…」
自分が汚している事は気づいているようだ。しかし、それと行いを正すことは別だと考えているようだ。
あらかた砂を掃除し終わり、カウンターを見ると川端がパソコンの前に座って作業をしていた。が、目はずっと学生を見据えている。
「あれが川端さんの臨戦態勢なんですよ。
彼…東明くんて言うんですが、ご覧の通り、場所取るわ散らかすわ汚すわで、川端さんが最も大切にしている図書館の静けさと清潔さを一瞬にして破壊してしまうんですよ。
本人はまるでその事に気づいてないんですけどね…」
いつの間にか隣にいた原が語った。
「しかも、聞いたように彼は本から得る知識をそう重要視していない。
これも川端さんの逆鱗に触れるところなんです。
まだ学部生の頃、その事で川端さんと言い合いをしたんですよ。
まぁ、言い合いと言っても川端さん1割、東明くん9割くらいの発言でしたけどね」
本の中にはどれだけ未知の世界が広がっているか君にはわからないのか、と主張する川端と、僕の学問は現場に出ないと意味がありません、と言い張る東明。
ただ、端で聴くと、川端はほぼ黙っているし東明も穏やかに話すので、言い合いだと気づき、ドキドキしていたのは原1人だけだったと言う。
「しかもタチが悪い事に東明くんは学科でも3本の指に入る程の成績優秀な学生でね…
川端さんも、それに関しては何も言えないみたいなんですよね」
それは納得だった。先ほど垣間見た、書架で本を探す東明の眼差しは、学問を追求する青年のそれだった。
(ただ、価値観が違うだけで、どちらも真摯な物を持っているのになぁ~)
残念だなぁ、と思いながらカウンターを見ると、いつの間にか川端と東明が対峙していた。
つづく