俳句が嫌いになった理由 | 爺34のどて話

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酒を楽しみ老いを楽しむ。どてかぼちゃ(アトランテック・ジャイアント)栽培を愉しむ。農を通じて人生を語る。後輩の成長に目を細め、良い人生だったと笑って旅立つ。そんな好々爺でありたい。

ワタクシ、こう見えても文学青年でございました。というのはウソですが、高校生の時、授業で俳句を作ることがありました。

 

何を作ったかは覚えていませんが、コンバインで稲刈りの作業中、雨に見舞われオペレターは「何とか刈り取ってしまいたい」との思いからエンジンを全開にします。

 

そのエンジンの高鳴りを詠みましたが、担当の教師は雨が降り出したら音は消されるものだ、高鳴るのはおかしいといって私の主張を受け入れて貰えませんでした。

 

「そんなことはないと反論しましたが、以来、教師とはそういうものだと思うようになりました。芭蕉が詠んだ句を、いかにも知っているがごとく話すけど、芭蕉はそういうことを言いたかったかどうかは分かりません。

 

ですから今でも、テレビ(プレバト)で偉い先生が芸能人の詠んだ句をこき下ろしていますが、いつも「そうだろうか」と思って観ています。

 

 

(おまけ)

 


ながい梅雨の中休みが終わったようです。これから梅雨明け前の長雨に入るようです。猛暑日続きで閉口しましたが、長雨も大変ですね。昨日、M氏のお世話で小学校のどでカボチャに雨除けシートが張れました。

 

小学校のどでカボチャ