中学生の避難(思い出) | 爺34のどて話

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酒を楽しみ老いを楽しむ。どてかぼちゃ(アトランテック・ジャイアント)栽培を愉しむ。農を通じて人生を語る。後輩の成長に目を細め、良い人生だったと笑って旅立つ。そんな好々爺でありたい。

台風と地震は比ぶべくもないが災害という観点からは同じです。能登半島地震で被害が深刻な石川県輪島市は市内の全中学生401人のうち250人の集団避難を17日から始めると発表されました。

 

ワタクシも昭和34年9月の伊勢湾台風では木曽岬町(当時は村)が水没したため鈴鹿市の電通学園(飛行機の格納庫跡)に集団避難をしました。電通学園には今の上皇さまが皇太子さまでいらしたころ慰問を受けました。

 

当時は親元を離れての生活にいろいろ不安もありましたが、あの集団生活での体験がその後の人生に大きく役に立ったと信じています。

 

ワタクシはわずか1カ月半で桑名市の中学校へ転校しましたが、避難は12月に仮復旧するまで(鈴鹿市内の鈴峰荘という施設で)教師と小中学生が集団生活を送りながら勉強しました。

 

伊勢湾台風での集団疎開


(おまけ)
大相撲初場所2日目、やっと北陸勢が勝ち揃いました。
琴勝峰●(押し倒し)〇大の里(2勝0敗) 
隆の勝●(押し出し)〇遠 藤(1勝1敗)
金峰山●(寄り切り)〇朝乃山(2勝0敗)


そしてそして
西前頭筆頭の若元春が横綱照ノ富士を寄り切りで勝ちました。初金星です。

 

 

 

 

都道府県対抗女子駅伝(1/14)

 

五島莉乃選手1区を区間賞で走り

2区の猿見田裕香選手にたすき渡し