・完本 妖星伝2 神道の巻・黄道の巻(半村良著、祥伝社文庫、平成10年10月30日初版)(もとは昭和53年と54年に講談社文庫で出た「妖星伝3」と「妖星伝4」)

・奇跡のような伝奇SFエンタメ小説の、祥伝社文庫版第2巻です。第1巻に引き続いて、波乱万丈にして奇想天外な物語が繰り広げられ、妖艶無惨にして奇妙奇天烈なイメージが炸裂し、荘厳華麗にして冷徹無情の世界観が展開します。カバー表紙ウラに掲載されている京極夏彦の絶賛コメントは、的確です。曰く「全ての伝奇小説の基本であり到達点である」――。

 この巻の前半は「神道の巻」と題した第3部です。が、いわゆる神道の話はあまり出てきません。何しろこの物語の世界観は、いわゆる神道が日本でいわば覇権を握る前から伝えられてきた宗教というか理念というか習俗があり、それが異端とされて地下に潜った後も「鬼道」として受け継がれてきた、というのが基本なのです。

 振り返れば「鬼道」は、日本史上において最も古くその存在が史書に記された宗教(理念、習俗)だといえるでしょう。日本で文字による記録が始まる前の西暦3世紀に中国大陸で成立したらしい、いわゆる「魏志倭人伝」に、「卑彌子 事鬼道 能惑衆」(卑弥呼は鬼道を用いて民衆をよく惑わす)と紹介されているのです。いわゆる神道に比べてはるかに由緒正しいのです。

 もちろん、卑弥呼の鬼道がどういうものだったのか、史書では具体的なことは一切わかりません。で、「嘘屋」(嘘をつくことを商売とする人?)を自称した作者は、「鬼道」という名称にふさわしい姿を創造し、読者を魅了するのです(第1部のタイトルが鬼道の巻でした)。しかも作者は鬼道を日本史の枠組みのなかにとどめません。人類史はおろか全生命史のなかに位置付け、さらには全銀河的、全宇宙的なスケールへと物語を展開する足がかりにしているのです。

 さらに魅力的なのは、鬼道を軸とする世界観を展開するのに作者が仏教を利用していることでしょう。密教がやたらと壮大な宇宙論を展開してきたことや呪術的な性格が色濃いことはよく知られていますが、この宇宙論と呪術性によって鬼道に独特の深みをもたらすことに成功していると思います。

 たとえば、鬼道を奉じる集団のトップの称号は、薬師如来を守る十二神将の筆頭である宮毘羅(日本では金比羅様として親しまれてきました)です。鬼道衆のなかの叛逆集団のトップは十二神将の中では7位の因達羅(もともとはインドラと呼ばれる神で、帝釈天ともなった)です。そしてこの二人が正面からぶつかり合った超能力バトルの描写は、今は亡き栗本薫が「七人の魔導師」で創造してみせた魔道バトルを彷彿させる、目覚ましいイメージ喚起力があります。

 あるいは、4人の宇宙人による超能力バトルは、持国天と増長天、広目天、多聞天という四天王の戦い、というより舞となって現出します。舞なので音楽が伴うのですが、その曲名が皇帝破陣楽(おうだいはじんらく)。一説には、雅楽のなかで「唐楽四大楽曲」の一つに数えられることもある舞楽だそうです。ネットで調べると江戸時代に廃曲になったとの解説があるのですが、その一方でyoutubeでは「壱越調」という難しい副題付きで演奏が流れたりもしています。一体どうなっているのか、分かりません。とりあえずyoutubeで聞いてみると、なかなか味のある音楽ではあります。本来「破陣楽」は戦場で戦う武将を讃える勇壮な舞楽だとのことですが、大して勇壮な印象は受けませんでした。

 なお、「破陣楽」というと真っ先に思い浮かべるのは「秦王破陣楽」です。この秦王は「キングダム」の嬴政つまり秦の始皇帝のことではなく、唐の第2代皇帝・太宗こと李世民のことです。武徳9年6月4日(6・4!)=西暦626年7月2日の玄武門の変で兄の皇太子・李建成らを横殺し父の高祖を退位に追い込んで皇帝になった人物ですが、それ以前は「秦王」という称号で武勲をあげ続けたらしいです(皇帝となった李世民は自分を名君として後世に伝えるため随分と歴史の改竄に勤しんだらしいので、どこまで評価していいのか悩ましいところがあります)。

 例によって伝奇ならでのは妙味も盛りだくさんです。たとえば紀州の青岸渡寺。仁徳天皇の時代の人とされる開基の裸形上人の話(伝説)が、物語と味な関わり方をします。

 あるいは下野(栃木県)をめぐる様々な史実と伝説。現在の栃木は海なし県ですが、縄文海進の時代には東京湾が県南部まで広がっていて、貝塚が残っているそうです。さらに古墳も随分たくさん存在するようです。そしてあの日光。桓武天皇から「上人」の称号を授かった勝道が日光山を開いたのは、最澄による比叡山開山や空海による高野山海山よりも早かったとか。のちの慈覚大師(円仁)も下野出身で、伝奇的な魅力に溢れた土地だといえるでしょう。そこに作者は目をつけたわけです。

 ともあれ、この第3部では全体を貫く深刻な謎の一つが明らかにされ、物語はいよいよ激流の相を呈します。そのなかで、圧倒な存在として姿を現す天道尼という若い女性は、実に魅力的です。一方で、幕府中枢の権力争いとも絡んで「将軍詰」と銘打った詰将棋が登場し、新たな謎として物語を引っ張ります。

 将棋が重要な役割を果たす伝奇小説としては角田喜久雄が戦前に発表した「妖棋伝」と「風雲将棋谷」が有名でしょう。「妖星伝」というタイトルも踏まえると、半村良は角田の仕事へのオマージュの意味も込めて本書を書いていたのではないか、と妄想した次第です。

 第4部・黄道の巻に入ると、いよいよ物語の激流は加速します。今回読み返して最も強い印象を受けたのは、宝暦年間に起きた郡上一揆の話でした。伝奇SFでありながら本書は江戸時代の百姓一揆の展開に並々ならぬ関心を寄せていて、わけても郡上一揆を重視していつ印象です。最終的な決着として領主が改易になったり幕閣の大変動に繋がったりして、一揆史上に燦然と輝くいわば成功例だったらしいので、納得ではあります。

 最後に、第3部と第4部で印象に残った言葉をいくつか紹介しておきたいと思います。

「命は借り物。体は命の器にすぎぬ」:ドーキンスの「利己的な遺伝子」を思い出しました

「人を裁く者こそこの世で最もいかがわしい人間だ」:そう言い切っていいものか

「怒りは不正をただす道に通じる。悲しみは滅ぶのみ」

「時代の趨勢とか歴史の必然とかいう言葉に惑わされてはいかん」:マルクス主義批判?

「客観の境はこれ主観の心の変現」:唯識論の言葉らしいです。西洋の主観主義よりさらに奥深いのだとか

「動物も植物も鉱物の変化したもの、一時の状態にすぎない」:確かに