・「牛鬼蛇神を一掃せよ」と文化大革命(石剛編著・監訳、三元社、2012年3月31日初版第1刷発行、5000円+税金)
・中国でプロレタリア文化大革命(文革)が始まって今年で60年、終結してからでも50年。北京を揺るがした「赤い8月」がまさに60年前になります。というわけで、長らく積読状態にあった本書をついに読む気になりました。
書名から受ける印象とはやや違った内容で、文革もさることながら共産党政権が誕生してからの中国の歩みそのものを、中国出身のさまざまな論者がそれぞれの視点から分析した論文集、といったところです。ラインナップは以下の通りです。
(1)「牛鬼蛇神を一掃せよ」が「文革」の綱領となる過程及びその文化的根源:「牛鬼蛇神」は日本語で妖怪変化といった意味。共産党政権は敵(と見做した人)に対するレッテルとして用いました。毛沢東は早くも1957年に政治的なレッテルとして用いていたとのことです。
文革中にこの言葉がいかに普遍的になっていたかは「牛棚」という言葉によく表れています。本来は牛小屋といった意味ですが、文革中は「牛鬼蛇神」を収容・監禁する場所として広く口にされました。筆者は「牛棚」について舒蕪という人物が書いた文章を引用していて、これだけでも本書を読む価値はあると感じます。
かつてソ連共産党政権は「敵」を「毒草」とか「害虫」などと呼んだそうです。中国共産党はいまもダライ・ラマに「人面獣心の豺狼」といった悪罵を投げつけています。「科学的社会主義」を標榜する方々の非科学的な人身攻撃はキモいです。
(2)紅衛兵「破四旧」の文化と政治:「破四旧」とは旧文化・旧思想・旧風習・旧慣行を打破する、の意味。文革が始まって間もなく紅衛兵たちが展開した運動の名前です。集団で家屋に押し入って住人に暴行を加えたり家財を持ち出したり破壊したり……。北京では文革中に52万の私有家屋が没収されたとか。北京市が1958年の調査で保存を決めた6843件の文物旧跡のうち4922件は文革期に破壊され、その多くは1966年8~9月の「破四旧」によるものだったとのことです。明治維新の廃仏毀釈より酷かったかも。
(3)文革期における集団的暴力行為の制度的要因:内容はタイトル通りです。公権力が膨れ上がり社会に私的な空間も自律的な組織もなくなったことが集団暴力行為の激化と頻発を招いた、との主張には説得力を感じました。文革が激烈になった背景として「先天的な身分制」があった、との指摘にも。
「老子英雄児好漢、老子反動児混蛋(親が英雄なら子は好漢、親が反動なら子はバカ)」というスローガン通り初期の紅衛兵が血統を強調し、対して遇羅克が「出身論」を書いて反論するなど、「先天的な身分制」は早くから文革を彩っていました。やがて遇羅克が死刑になったことは身分制が体制の一部だと裏付けたといえます。現在、習近平ら「紅二代」が権勢を誇っているのは、身分制が存続している表れでしょう。沈棟(デズモンド・シャム)という起業家が実体験を踏まえて書いた「レッド・ルーレット」(草思社)という本は、現代の身分制の一端を暴いて読み応えがあります。
(4)チベット問題に関する文化的検証:1959年に共産党政権がチベット騒乱を力で鎮圧してから(つまりダライ・ラマ14世が亡命してから)文革終了までの20年近く、チベットでは体制への反発の動きがあまり表面化しなかったそうです。一方、文革が終わって共産党政権はチベット人たちの福祉の向上につながる政策を随分と打ち出したのですが(特に胡耀邦が熱心だったようです)、却って独立運動や反体制運動が高まりました。なぜか――。
いわばパラドクスともいえるこの問題に、筆者はチベット人たちの心情に迫ることで答えを出しています。チベット人と緊密に触れ合ってきた(何しろ奥さんがチベット人)この筆者ならではのユニークな見解です。ただ、多くのチベット人、ダライ・ラマ支持者らには嬉しくない内容かも、とも思います。筆者の理解はどれほど深いのか、カギはそこにあると考えますが……。
(5)チベット仏教の社会的機能とその崩壊:焦点を当てているのは現代(西暦2000年前後)で、共産党政権によるチベット仏教への締め付けは体制を揺るがしかねない、と警告しています。共産党政権の宗教政策の実態そのものがあまり知られていないため、活仏への迫害などミクロの動向を紹介している部分はとても新鮮です。
(6)中国現代「党化教育」制度化の過程:「党化教育」とは、政権を握る政党が学校や職場などを通じて自らの政治イデオロギーや政策を浸透させ忠誠心を育てる教育、といった意味。本論文は、中国共産党政権による党化教育の制度的な歴史を概観していて、参考になります。
(7)思想改造運動の起源及び中国知識人への影響:「思想改造」つまり「洗脳」は、1949年から共産党政権が「中国知識層に対して長期的に行った基本政策」だ、と筆者は断じています。で、共産党が政権を握る前に毛沢東が党内で展開した延安整風運動(1942年)まで遡ってこの政策を概観したのが、本論文です。集会における「批判と自己批判」や「つるし上げ」など「改造」のための具体的な手法には恐怖を覚えました。毛沢東の「ズボンを脱ぎ、しっぽを切る」という言葉にも。結果として「知識人はほとんど一夜のうちに、自らの独立性をすべて差し出してしまった」「知識人の間で嘘を言うのが一般的になった」と筆者は指摘しています。
なお、本論文は延安整風運動に関する参考文献として高華による「紅太陽是怎様昇起的」(赤い太陽はどのように登ったのか)という本を紹介しています。確かに読み応えのある歴史書で、邦訳が出ていないのが不満です。
(8)ユートピアの実験:毛沢東は「人間性を改造することを生涯の事業とし」、この理想のために文革を発動した、と筆者は断じています。レーニン主義の「新しい人間」という妄想と、「内省」や「修身」といった中国の伝統理念(妄想)とを融合させたユートピア思想だというのです。で、この思想とその実践を、毛沢東の青年時代から文革の時代までざっと辿ったのが本論文です。
例えば、毛沢東のユートピア志向は合作社や人民公社などの経済政策にもよく現れていますが、No.2だった劉少奇は共産党政権が発足した直後から「危険な、空想的な農業社会主義思想」を批判して、現実的な経済運営の重要性を訴えていました。結果は周知の通り。ユートピア的思考の破壊力に今更ながら戦慄しました。
なお、本論文で最も強い印象を受けたのは次の一文です。「1957年の反右運動(反右派闘争)は建国以来の12回目の政治運動である」。建国、つまり共産党が政権を握ったのは1949年ですから、8年で12回というペースで政治運動が展開されたわけです。「芙蓉鎮」という映画で、文革が終わったあと登場人物の一人が「運動だ!」と叫ぶと周囲の人たちがギョッとする、というシーンがあったと思うのですが、あのギョッとする感は当時の中国人ならではなのだろう、と推察する次第です。
不満を覚えたのは、文革に関しては日本語でも相当に充実した文献がありますが、文革以前、特に反右派闘争以前についてはいささか手薄なのではないか、ということです。オランダ出身の歴史家であるフランク・ディケーターが1960年前後の大飢饉を描いた「毛沢東の大飢饉」(草思社)や「文化大革命」(人文書院)は邦訳が出ているのに、1949年から1957年までの中国の激動を描いた力作“The Tragedy of Liberation”という本はいまだに邦訳されていないようです。
(9)1973年の梁漱溟と馮友蘭:梁漱溟と馮友蘭は(7)の論文にも登場する知識人です。筆者は「20世紀の中国思想界を代表する人物」と紹介していますが、二人とも元々は儒者として知られた思想家です。なぜ本論文が1973年の時点での二人を問題にしたのかといえば、翌年に大きく盛り上がる「批林批孔」運動の狼煙がこの年にすでに上がっていて、それへの二人の対応が違っていたからです。筆者はこの二人の当時の心境と後年の心境を紹介し中国の知識人の苦境を炙り出していて、読み応えがあります。
思い出したのは、10年ほど前に読んだ聶莉莉という研究者による「知識分子の思想的転換」(風響社)という本です。これは共産党政権が発足してから文革が始まる直前くらいまでの時期を対象に、潘光旦と費孝通という二人の社会学者の歩んだ道を検証した歴史書です。「思想改造」への対応の差で、この二人の生涯はかなり対照的なものになった、との印象を受けた記憶があります。
(10)1949年以降の朱光潜:朱光潜は20世紀中国の著名な美学者です。共産党政権の発足後かなり長きにわたって「思想改造」を受けました。やがてマルクス主義の観点に基づく美学理論を展開し、共産党体制の下で重きをなしたそうです。
本論文には何回か胡風の名前が出てきて、胸が痛みました。もう30年ほど昔になりますが、人民日報の記者だった李輝が書いた「囚われた文学者たち」(岩波書店、原著の題名は「胡風集団冤案始末」)という本を読んで、胡風のあまりに酷い命運に悲憤を覚えた記憶が、今なお鮮明だからです。
(11)内なる視点のために:編者による総括的な論文です。各論文が触れなかった胡適の話題、特にその次男である胡思杜が胡適を批判したエピソードは、読み応えがありました。子供に親を公に批判させるのはとても酷いことだと感じるのですが、これを得意技にしてきたのが中国共産党だったことを、改めて思い出しました。
全体として本書は散漫な論文集だと言わざるを得ず、一冊の本としての完成度はちょっと切ないです。ひとつひとつの論文は決して長くないので物足りない気分を覚えることも多く、学術的で読みやすいともいえません。筆者の大半は多感な頃に文革と直面してい年代で、個人的な見聞や感慨などを交えてもいいと思うのですが、それもありません。どの筆者も、共産党政権を過度に刺激したくない、という配慮を働かせているように感じました。それでも、個々の論文はそれぞれに読み応えがありました。中国の知識人たちへの共感を新たにもしました。紅衛兵の集団リンチを受けた老舎が自殺したのは60年前の8月24日でした。
最後に蛇足を。文革中の「牛鬼蛇神」や「牛棚」という言葉を通じて、中国大陸では「牛」という文字に独特の負のイメージが定着した印象があります。それが大きく転換したのは、市場経済の発展が契機だったと思います。英語の相場用語「ブル」を直訳して「牛」は強気相場を意味する言葉となったのです(当然ながら弱気相場は熊です)。ただ、以前からこの意味で使われていたとの指摘もあり、復活したというべきかもしれません。
さらにわけのわからない味変を遂げたのは、ネットの普及が契機でした。2008年ごろから、日本語なら「すっご~い!」とでも訳したくなるような意味で、盛んに使われるようになったのです。
そして今夏(2026年)、「牛」はさらに新たな意味合いを帯びようとしているようにみえます。「牛来」というタイトルの低予算アニメ映画が異例のヒットとなっているのです。ヒットの理由は、あまりに出来が悪い、としてバズったことです。新京報という新聞は「観客を愚弄」しているとし、「こんな映画がどうして上映に至ったのか、疑念が生じている」とまで書きました。
共産党政権は映画に対し厳格な事前検閲を実施しています。中国文化の恥ともなりかねない映画の上映を認めたのは、自分を良く見せることに異常なほど情熱を燃やすあの政権としては、不可解です。マネロンのための手の込んだスキームでは、といった陰謀論さえ浮上しています。
個人的には、文革の開始から60年、終了から50年というタイミングで、「牛」の負のイメージを和らげようと当局が目論んだのでは、と妄想しました。今年も、文革に関する報道や出版、イベントは中国大陸でほとんど封印されてしまっています。日本を含む海外でも文革関連の取り組みは低調な印象です。