2016年1月7日(8年前)
☆☆☆☆☆超希少’72初期型Z1オリジナル☆☆☆☆☆
皆さん、おはようございます。今朝の上田は、Cloudy Skyで長野北部は雪になるそうですが、「真田丸」フィーバーで熱い上田は、雪は揺らなそうです。 さてここで、2013年9月にこのBlogでご紹介した’72初期型Z1のページがいまだにアクセスが多いので、最近、BRUIN Blogを見始めて頂いた方にも、一度ご覧になって貰おうと思い再アップしました。たかが、二年半ほど前ですが、大分昔に感じるのは私だけではないと思います。本当に、月日の過ぎる加速度が早くなっている気がしますね。
皆さん、おはようございます。昨日、コメントを追加しましたが、今日は、如何にZ1と言うバイクが歴史的に貴重なバイクであり、当時開発に携わった人達の熱い思いと、Kawasakiがこのバイクに注ぎ込んだ情熱と川崎重工の歴史を紹介したいと思います。このページは自分にとっても重要なので、これから幾度となく、説明文を追加しながら、進めますのでご了承ください。何分、自分は文章を書くのが苦手でしたので、ご理解くださいね。
皆さん、先日ブログでこのお宝車両をアップした時は、月末で時間が無くて、写真のコメントが出来ませんでしたので、これから、何故希少で価値があるかをご説明しますね。この初期型は、1972年10月に製造され、その後船で米国に渡り、US Kawasakiがあったネブラスカ州リンカーンからそれほど遠くないカンサス州カンサス市で大切に室内保存されていた車両で、しかも’72初期の1000番台で有ること。また、BRUINのOpen 1999年以前から、今までで一番程度が良い車両で有ること。
市場動向: ここ数年、米国での初期型Z1の玉不足がより深刻になり、日本国内での販売価格が高騰した事、ますます保存状態の良いオリジナルに近い初期型Z1の希少性が以前に増して来ています。昨年、生誕40周年を迎えた事もあり、雑誌&メディアで取り上げる機会が増え、結果的に今まで、燻っていた潜在需要に火をつける結果になりましたね。 BRUINはこれまでに一桁Z1を3台、2桁の合致車も数台販売してきましたが、トータルで80台以上の初期型Z1を販売してきましたが、40年経過した歴史を考えると、これだけの程度のいい1000番台は奇跡にちかいですね。まずは、詳細写真とコメントをご覧下さいね。 *エンジンも好調で、とても軽いですよ。いい車両はバランスが良いので押すと分かりますよ。
この写真を見て、わかる方は初期型に詳しい人ですね。今まで、ブログで紹介した初期型の写真をご覧になると違いがわかると思いますが、一見、タンクが大きく、膨らんで見えるはずです。最近は、あまり’72初期型が里帰りしない事もあり、言わなくなりましたが、マニアの間では、通称”ビックタンク”と言われてきました。 *言い忘れましたが、マフラーは新車時から純正無番マフラーでは有りません。
このスピードメーターもごく初期のZ1にしか、装着されなかった大変希少なものです。特に、走行距離が少なく、当時物でこのコンディションは超希少です。クリックして、画像を見てください、20マイル表示のところが、’73初期以降のメーターと違います。また、このオリジナル向かい獅子キーもワンキーです。メイン、ハンドルロック、シートロックの3点共通です。
この綺麗なキャリパーを見てください。一切リペイントしていませんよ。私も、これを見たときはびっくりしました。また、フロントホークのボトムケースのフェンダーを内側からボルトでとめている部分が”かまぼこ”の用に盛り上がっているのが’72初期の特長です。最近は、あまりヤフオクで出品されているのは見ませんが,結構高額で取引されるレアものですよ。
どうですか、40年以上前にファクトリーペイントされた物に見えますか?極小のペイント傷は有りますが、凹みはありませんよ。もし、このボディー一式をヤフオクに出せば、推定ですが好きなマニアは50万円以上はだすと思いますよ。追加ですが、インシュレーターは新車時からのラウンドでニップルがないものが付いていますよ。(これはかなりレアな事なんですよ)
このテールカウルもとても綺麗で目立つ傷は有りませんよ。前後フェンダーも最高のコンディションですよ。
もちろん、シートは当時物黒スポシートで、通常ヘルメットホルダーにあたり、大きく破れてしまっていますが、これはほとんど気にならない程度です。ステッカー類の新車時からのものですよ。
このオーナーズ・マニュアルは一番最初にプリントされて、購入者に渡された物です。初期型用だけでも、詳しいマニアの話だと、5種類有るそうです。BRUINのショーケースにはこれと同じ物とその他2種類を展示してありますよ。また、このトレイもごく初期の物はEngine Oil Capacity: 3.7 U.S qt. (3.5ltr.)とプリントされています。通常のトレイは4.2U.S qt. (4.0ltr.)とプリントされています。
写真では、アップするのを忘れましたが、リアショックも驚くほど綺麗ですよ。走行距離のオリジナルですので、始動テストしましたが問題ないですよ。詳しい人は、キャブがリブなしでないと気付くでしょうが、ド初期のリブなしキャブは今までに10機以上は扱いましたが、不調な物が多く、交換されているケースが多いです。
以上、簡単にコメントしましたが、皆さんが期待する100%オリジナルという訳には、いきませんが40年以上経過して、このコンディションは奇跡に近いです。考えて見てください。もし、湿度が高く、雨が多い日本で40年以上前のバイクがこのコンディション残っているか?また、40年以上前に日本でバイクをこれだけ大切に管理できる環境の人がどれだけいたでしょう。幸運にも、カンサス州の初老の前オーナーが大切に保管してくれたお陰で、このコンディションで里帰り出来たので、大変感謝しています。この希少性を理解し、末永く大切にしてくださる方の元に販売出来れば幸いですね。BRUINもこの価格は高額だと思いますが、これだけ骨董品的価値が付いた日本の名車は、しょうがないですよね。通常、やっと見つけて高額で入手し、多額の時間と作業時間をかければ、本物初期型Z1だと、乗り出しで230万円以上する時代になっていますかね。当然、これだけ初期で、程度が良い物は高額になります。しかし、そのエキストラ(差額)は、人には味わえない優越感を手に入れる事が出来ますよね。
*歴史的に価値も有りますし、資料的価値も今後ますます上がりますよ。それでだけ、すばらしいバイクです。
間違いなく、一生物お宝’72初期Z1です。BRUINが太鼓判を押します。
それでは、真剣にご検討下さいね。
Have a nice evening, Folks!!
この写真は、全国からこの日の為に駆けつけたKawasakiファンと関係者の皆さんとの記念写真です。
この写真は、この研修センターの二階で、説明会終了直後に取った物です。私の直ぐ隣が,通称”きよさん”ことZ1のテストライダーを務めた事で有名な清原明彦さんで、その隣が、知らない方はいないと思いますが、有名なレーサーでIMPULの代表の星野一義さんです。この撮影後、撮影は禁止でしたが、明石本社工場の見学にバスでスタートしました。
こちらが、川崎重工業(株)プレジデントの高田 廣さんです。この日も忙しい合間をぬって参加してくださり、川重モーターサイクルの現況を話してくれました。W850の販売が好調だとも言っておられましたね。この日の夜ホテルで行われたパーティーの様子はネット配信され、多くの方が同時にこの様子を楽しみましたよ。
一番左が今回のイベントの立案者の一人で、NPO法人 The Good Times 理事長の古谷 錬太郎さんです、私もパーティー会場でお話しましたが、とても気さくな方で、このイベント主催者のメグロファンクラブの平井 稔男さんは同じ、昭和8年生まれで二人とも旧満州から帰国された方で、とてもお元気でパワフルでした。さすが、戦中育ちの方、違うなと思いました。一番右の方が、Z1開発責任者だった大槻幸夫さんです。今まで、BG等バイク雑誌で紹介されている方なので、Z1好きな方はご存じですよね。この方もパワフル、パーティーでの挨拶でも、世界一と何度と繰り返し、目指すは世界一、世界一に拘った方でした。その拘りが結果、世界の名車Z1の誕生になったのでしょう。
何故、この席に星野さんが居られるのか?不思議に思われる方も多いと思いますが、星野さんは18歳の頃は、Kawasakiの草レースをしていたそうです。私も、ビックリしました。
皆さん、美味しいお酒と食事で、すっかり気持ちよくなり、笑いが絶えない大変楽しい一時を過ごしました。
こちらは方は、先ほど紹介した川重プレジデントの高田さんで、私が上田から来たと言うと、若い頃、上田のART金属にピストンの打ち合わせで何度か行ったことがあると話してくれました。私も、酔った勢いで、Z1を再び、川重で販売してみてはどうですかと言うと、それは~と言った感じのリアクションでした。この席があったので、お会い出来ましたが,普通はなかなかお話ができる方ではないですよね。
私にとっては、神様のような方で、DOHC四気筒エンジンを開発した稲村さんにBelstaffレザージャケットの内側にサインをして貰いました。実は、この日、この席におられた方達の沢山のサインを貰いました。私に取っては、一生物のお宝になりました。
この神戸海洋博物館の中に、川崎重工の歴史館があり、Kawasakiの歴代の名車がずらりと並んでいました。
やはり、江戸時代末期から明治初期までは、薩摩藩(鹿児島)出身の方の活躍が目立ちますね。そうです、九州男児が川重創設者でした。私も、ここに来るまでは知りませんでした。
この経歴をみると、明治17年にアメリカのエール大学され、その後フランスのパリ大学に留学されたんですね。あの時代のアメリカとフランスは私には想像も出来ませんね。とにかく、凄い方だったですね。
こちらが、確か、アメリカから川重は買い付けレストアされた量産車第一号、フレームナンバーZ1F-00001&エンジンナンバーZ1E-00001の歴史的なZ1です。私も、この次のフレームナンバーZ1F-00002&エンジンナンバーZ1E-00002番を十数年前に販売しました。
こちらのスピードメーターをご覧下さい。今回BRUINで販売している物と同じです。程度は、明らかにこのページで紹介しているBRUIN在庫のZ1の方がいいですね。
記念すべき第一号Z1とZ1テストライダーの清原さんとのショットです。清原さんはとても気さくな方なので、直ぐにリクエストに応えてくれました。
この工場内の特別展示場は、一般公開されていませんので、特別な許可がないと入れない所です。歴代のお宝車両がずらりと並んでいました。明石本社工場内は撮影禁止でしたので、唯一このコレクションホールが写真撮影がOKでした。
このEuro仕様のイエローボールがこの展示館で一台のZ1でした。US仕様を沢山違う部品が付いていましたね。
フレームナンバーがZ1F-01626ですので、今回このブログで紹介しているお宝Z1と大変近いですね。如何に、このブログで紹介しているZ1が希少だとご理解していただけましたか?
まさしく、上記Z1(このブログで紹介している)がカワサキが誇る世界の名車であり、保存状態が良く、希少価値が有るかわかっていただけましたか。 購入される方は、KawasakiのA piece of History を手にする事になりますよね。
「真田丸」まで、Only 3 Days to go!! Folks!!