2013年5月4日(8年前)
"Las Vegas to Manhattan New York"
Las VegasからDeltaの夜のフライトでNew Yorkへ、翌朝6時にJ.F.K(John F Kennedy Airport)に到着し、予約しておいたレンタカーで、一日目の宿、New York Manhattanは高いので、お隣のNew JerseyのEconlodgeに向かいました. New Yorkは今回で3回目ですが、最後に行ったのは1990年でしたので、大分前になりますね。最後に行ったときは、日本企業がNew York ManhattanのHotelで留学生を対象にしたリクルートでしたね。あの時代は、日本企業もまだまだ元気で、LAからの飛行機代を出してもらい沢山の企業と面接しました, 今はもうない会社も当時は積極的に留学生を採用しに来ていましたよ、たとえば、山一証券、三洋証券や今も健在な京セラ、生保各社等、大変懐かしいですね。今とは大違いですね。しばらく前の中国とにてますかね。最近ではアジアのライジングサンのフィリピンですかね。この25年弱の間に日本を取り巻くアジア情勢は大きく変わりましたね。Japan As No1と言っていたのが懐かしいですね。”Good Old Days”
このストリートを見て、記憶に残っている方もいると思いますが、正面に見える建設中のビルが9.11で崩壊したWorld Trade Center後に現在建設中の高層ビルです。車でグランド・ゼロ近くに行きましたが、セキュリティーが厳しく、良く見えませんでした。事前に予約を取らないとグランド・ゼロには行けないと聞きましね。
これがLas Vegasのエアーポートです。さすがVegas飛行機に乗る前寸前までギャンブルを楽しめる用になっています。そうです、Las Vegasは楽しんでお金を使って貰う努力を惜しみませんね。一見、派手やかなLas Vegasですが、失業者が多く、また、自殺者も一番多い所でも有ります。世界の景気に一番敏感な所ですね。
はっきり言って、あまりサービスの良くない国内線でしたね。映画を見るのもクレジットカードで支払いが必要でしたね。一番ビックリしたのは、当然と言ったら当然ですが、国内線のセキュリティーの厳しさですね。3.11同時多発テロ以来神経質になるのも当たり前ですね。建国100年を記念してフランスから送られた”自由の女神”をフェリーに乗って見てきました。自由の象徴であるこのLiberty像は、ヨーロッパから移民するため船でこの港に入る人々を出迎えるかのようにそびえ立っています。
自由の女神像 (ニューヨーク)
座標 : 北緯40度41分21秒 西経74度2分40秒 / 北緯40.68917度 西経74.04444度 / 40.68917; -74.04444
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英名 | Statue of Liberty | ||
仏名 | Statue de la Liberté | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (i) (vi) | ||
登録年 | 1984年 | ||
公式サイト | ユネスコ本部 (英語) | ||
地図 | |||
使用方法 ・表示 |
自由の女神像(じゆうのめがみぞう、英 : Statue of Liberty 仏 : Statue de la Liberté)は、アメリカ合衆国 のニューヨーク 港内、リバティ島 にある像である。正式名称はLiberty Enlightening the World(世界を照らす自由)である。
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概要 [編集 ]
自由の女神像はアメリカ合衆国の独立 100周年を記念して、独立運動を支援したフランス 人の募金によって贈呈され、1886年 に完成した。アメリカ合衆国 の自由と民主主義の象徴であるとともに、19世紀以来絶えることなく世界各地からやってくる移民にとって新天地の象徴ともなっている。1984年 にはユネスコ の世界遺産 (文化遺産 )に登録された。
本来のモデルはフランスの象徴マリアンヌ で、性別 は女性 である。しかし、像自体の性別ははっきりとわかっているわけではない。銅製だが、緑青 の為に緑色になっている。像の頭の部分までの高さは33.86メートル(111.1フィート)、台座からトーチ(たいまつ)までの高さは46.05メートル(151.1フィート)、台座の高さは47メートル(153フィート)、台座部分も含めると93メートル(305.1フィート)、総重量は225トンである。
右手には純金で形作られた炎を擁するたいまつ を空高く掲げ、左手にはアメリカ合衆国の独立記念日 である「1776年 7月4日 」とローマ数字 で刻印されている銘板 を持っている。足元には引きちぎられた鎖 と足かせがあり、これを女神が踏みつけている。全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類は皆自由で平等であることを象徴している。女神がかぶっている冠 には7つの突起がある。これは、7つの大陸 と7つの海に自由が広がるという意味である。
台座部分にはエレベータ が設置されている。エレベータの最上階(10階)からは像の中のらせん階段を上って王冠部分の展望台に登ることができる。2001年 9月11日 に発生したアメリカ同時多発テロ事件 後は安全のため、同展望台は閉鎖されていたが、2009年 7月4日 、独立記念日に合わせて約8年ぶりに再開された。再開後は、同展望台に入場できる人数が1時間あたり30人まで、1日240人までと制限されたほか、入場には予約が必要となった。台座部分の内部はアメリカの移民の歴史について展示する博物館になっており、エマ・ラザラス (Emma Lazarus) が書いた「新しい巨像 (The New Colossus )」という題の14行詩 を浮き彫りにしたブロンズ製銘板が設置されている。たいまつは灯台とするためのものであったが、雲に反射して船舶運航の妨げになるということで中止された。また、女神像は元々灯台であったためニューヨーク港 を向いている。
なお、自由の女神像はフランス系フリーメイソンリー とアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物であった。台座の記念盤には以下の文言が刻まれている[1] [2] 。
この日も世界中から観光客が来ていましたね。New York Manhattanは観光も大事な産業ですね。ちなみにこの観光フェリー乗り場は世界の金融の中心のWall Street街の直ぐ近くです。
フェリーのアナウンスだと、ヨーロッパから船でこの港に来た人たちは、この女神像を見て、気持ちを新たに新天地アメリカでの生活をスタートしたそうです。
これがフェリーから見たBrooklyn Bridgeです。100年以上前に作られた当時としては、最高の技術で14年かかって完成した歴史的に重要な橋だとフェリーの案内説明で言っていましたね。
ブルックリン橋
ブルックリン橋(Brooklyn Bridge)は、ニューヨーク 市のマンハッタン島 南端付近とブルックリン区 を結ぶ橋 である。
概要 [編集 ]
マンハッタン島から南東方向に向かって伸びており、マンハッタン橋 と並ぶように位置している。イースト川 (East River)の上に架かっており、長さは1,834m、中央径間は486m。もともとの名称は“ニューヨーク-ブルックリン橋”といった。米国でもっとも古い吊り橋 の一つであり、同時に鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもある。14年の歳月をかけて1883年 に竣工・完成した。同年5月24日 に開通し、開通初日には15万人もの人がこの橋を渡った。この橋は 2層に分かれており、現在でも上層は人や自転車が歩いて渡ることができる。下層は片側3車線の車道である。ブルックリン橋はゴシック風のデザインともあいまってニューヨークの観光名所のひとつになっており、休日にはよく橋の上をランニングする人々を見ることができる。
1903年 に上流のウィリアムズバーグ橋 ができるまで世界最長。なお、マンハッタンからイーストリバー下流にかかる3本の吊り橋の順序は、下流(南)からBMW(Brooklyn, Manhattan, Williamsburg)と記憶するという方法がある。
現在でも使われいるので、そんなに大昔に作られた感じがしませんね。しっかりメンテナンスされていますね、さすがアメリカですね。当然、1883年の日本にはこのような橋は無かったですね。
私は、1984年にもここから今はないワールドトレードセンターを見ました。ここから二機の旅客機が突っ込んだのを見た方もいるでしょうが、考えると本当におそろしいいですね。日本人も多数亡くなった、大変悲しい自由の国アメリカの自由の代償ですね。
この写真が1984年3月に初めてNew Yorkに行った時に、フェリーからWorld Trade Centerビルを撮った物です。 まさか、あのような悲劇が実際に起こるとは、9.11以前は誰も夢にも思わなかったはず。
From BRUIN Shinsyu Ueda Japan
Since 1999
May 4. 2013