友人たちと両国駅で待ち合わせ。
駅の構内には優勝額が飾られている。
待ち合わせ場所は、両国江戸のれん。
両国散歩を楽しむ予定なのだ。
待ち合わせまで時間があるので、お隣の国技館までお散歩。
青空に、力士の幟が美しく映えている。
場所を終えた国技館は、ひっそりと静まり返っている。
何度か桟敷席で相撲観戦をしたことがあるが、狭いので足が痛くなるのが問題だ。
それに午後二時くらいから飲むので、幕入り後にはすっかり酔ってしまい、勝敗も覚えていない有様だ。
両国江戸のれんに戻り、中を見て歩く。
飲食店が並んでいるが、酒を扱う店が多い。
ここは立ち飲みで、日本酒一杯300円。
こちらは純米吟醸が一合500円。
今日のメンバーは皆さん日本酒が大好きなので、散歩を止めてここで昼から飲もうということになってしまいそうだ。
酒の誘惑を断ち切り、両国の街歩きに出掛けることにする。
墨田区観光協会のガイドさんに案内され、オジサン7人でいざ出発。
レシーバーをセットし、耳にイヤホンを装着。
ガイドさんと少々離れても説明がよく聴き取れるので便利だ。
両国駅前を少し南に下ると、歴代横綱の手形が飾られている。
この台座は7基あり、それぞれに8人の手形を埋め込むことができる。
稀勢の里が第72代だが、何代目以降の手形があるのかは聞き忘れ。
台座の上の像は土俵入りの型を表し、雲竜型と不知火型の二つの型のどちらかの像が置かれている。
京葉道路を渡り、回向院に至る。
1657年の明暦の大火では十万人以上の犠牲者が出たと言われ、多くの無縁仏を葬るために四代将軍家綱が建立した念仏堂である。
本堂は現代的な建物になっている。
犬猫等のペットを弔う馬頭観音堂。
堂の手前右には犬の像。
そして正面手前には、猫の像。
どちらにも花がいっぱい備えられている。
水難事故者を弔う石塔も幾つも建てられている。
それぞれに所縁があるのだが、一つ一つ見て歩く時間はない。
これは鼠小僧の墓。
といっても、ここに遺骨があるわけではない。
手前の白い石は、削り取るためのダミーの墓石。
鼠小僧の墓石を削り取って持っていると、試験に受かったり、賭け事に勝つと言われている。
そこで、墓が壊されるのを防ぐため、削り取り用のダミーの石を置いているのだが、この石で何代目かなのだそうだ。
墨田区は、観光案内の掲示が充実している。
これを読むだけでも、随分勉強になって楽しい。
続いては両国橋へ。
両国橋は、明暦の大火で逃げ場を失った多くの人が焼死したことから架けられた大橋で、武蔵の国と下総の国を結んだので両国橋と呼ばれたのだそうだ。
でも私の興味は、両国橋東詰めの『もゝんじや』。
日本でジビエが一般的でなかった頃は、ここに猪、鹿、熊を良く食べに来たものだ。
店の横には、店の名前の由来の札も掛けられている。
江戸時代の両国橋は、今の橋より下流側約50mの場所に掛かっていた。
その場所には今も東に延びる道があり、回向院に至っている。
昔はこの道の行き当たりが回向院の正門で、江戸方面の西向きだったが、今は正門は北側に移され、北向きとなっている。
旧両国橋の東詰めは赤穂浪士が吉良邸討ち入りの後、休息した場所だそうだ。
吉良の親戚の上杉が両国橋を渡って応援に駆け付けるのを迎え撃つためとも言われている。
その後赤穂浪士は、両国橋を渡らず、南下して一之橋から永代橋を渡り、泉岳寺に向かった。
両国橋を渡れば大名屋敷街の中を通らねばならず、無用な衝突を避けるためと言われている。
次に訪れたのは、春日野部屋。
さすが名門、立派だ。
入り口には、今日は部屋の見学は出来ませんと書かれている。
私達も赤穂浪士と同じく、一之橋を渡る。
一之橋が架かる隅田川に注ぎ込む運河の上には、首都高。
水も濁り、あまり綺麗ではない。
水上交通を活性化させるためには、もっと水の浄化が必要なようだ。
両国探訪は続きますが、長くなるのでまた明日。























