外国人の知らない日本語 | ブラウンの熊たち

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ブラウン大学在学中の日本人学生(熊たち)がブラウン大学のクレイジーな日常生活をあなたに届けるぜ!


こんばんは!

記事が遅くなってすみません。
言い訳なしで誤ります。


「日本人の知らない日本語」を(また)使って、(また)かけてみました!笑
「外国人の知らない日本語」と読んだ時に「当たり前だろうが!」と思った人は数人いるでしょうww




今週の日本語学のクラスが二つ目の小論文の締め切りでした!

今回の小論文は「誤解を招きやすい文・会話を集めて、分析する」というテーマでした!


今月は主にプラグマティックス(語用論)の話をしています。
プラグマティックスって本当に楽しいですね!
毎回新しいことが学べるし、先生がすごく詳しいのでいろんな質問を考えておくことにしています。
「ずっと知りたかった」とか「ずっとはっきりしてなかった」という場合がけっこう多いことに気づいて、
そういう質問に対して大体説明してくれますし、分からない時は3人で話し合って結論に至ろうとします。

例えばこの間聞いたのは、
「古いには古そうがあって、楽しいには楽しそうがあるんですけど、可愛いには可愛そうがないのはなぜですか?」

何でその質問をしたかというと、可愛いの「-そう」体が「可愛そう」になるんだけど、
それはただ「可哀想」と同じ意味で、「-そう」体と全然違う意味になってしまうからです。

まぁ、皆さんにとって当たり前なことでしょうけど、実際に考えてみたことはないのかもしれません。
僕だってここまで来て、ある程度直感で「これおかしいな」というのを感じます。


ですけど、やっぱり気になるんです。


違うって知ってるだけじゃ不満です。
なんで違うのか
どうしても
知りたくなるんですね。





何で曖昧だと思っていたかというと、
まだ味わってないラーメンをおいしそうと呼べるならば、
まだ見てない子犬をなんで可愛そうと呼べないのかなと思ったからです。


しかし考えてみれば、何かを「可愛い」と呼ぼうとすれば、
見える物なら「-そう」をくっつける必要性はないです。
可愛いか可愛くないかのどっちかです。

例えば「おいしそう」だったら、
まだ味わってなければ、「おいしそう」と言ってもおかしくないわけです。
「おいしさ」というのは見えることじゃないからです。
その一方、「可愛さ」は見えるものだとしたら、
わざわざ「-そう」をくっつけなくてもいいです。
見えればただ「可愛い」って言えばいいですよね。

なので「可愛い」とか、「赤い」とか、
見えるものを形容する言葉は「-そう」を使わないと話してました。
ですけど「大きそう」みたいな例もあるんで、
結局「考えておきましょう」というところにしましたw

そして今気づいたんですけども、
3人で話していた時に「可愛い」というのを見えるものとしか使ってなくて、
「キャラが可愛い」とか、見えないことを可愛いと言う場合を話してないです。
じゃ、来週のクラスまで考えておいて、3人でまた話します!









もう一つ聞いたのが、「泊まって行って」についてでした。

「~てきて」・「~ていって」について話していたんですけど
(「話しかけてきて」みたいなの)
夏休みに初めて聞いた「泊まって行って」を言ったら、先生がすごく喜んでました。ww
いい例だったそうなので、ノートを取ったんです。
先生の評価をもらえるような例えを出せてなんか嬉しかったですw


この夏友達の家に泊めてもらいましたが、
いつ行くかとか計画を立てていた時、「泊まっていって」という表現が出ました。
初めて聞いても結構分かりやすいので迷いはしませんでしたが、
後でちょっと考えていました。
「泊まりに来て」と言いますし、その人から見ると僕が「来る」わけなので、
なんで「いって」を使うのかなって。


泊まって来てというのも話しました。
例えば子供達がおばあさんちに泊まるとしたら、
お母さんが「おばあさんち
泊まってきてね!」といえるわけですが、
お母さんから見れば、子供達がおばあさんちにこれから「行く」んですね。

それで、おばあさんが子供達に「泊まっていって!」といえるんですが、
おばあさんから見れば、子供達がこれから「来る」んですね。

ですから逆じゃない?みたいな話をちょっとしてましたw
先生の説明によると、「泊まってから行く」からです。
泊まって、そしてどっか違うとこに行くみたいなw
分からなくはないですけどね、なんか日本語にしてちょっと
露骨すぎませんか?笑











そして最後に。
これをずーーーーーーと知りたくて、知りたくて。

聞く度に違和感を感じてた表現です。


「僕に言われても。。。(困る)」というフレーズです。

どう考えても「(あなたが)僕に言っても」・「(僕があなたに)そう言われても」
という言い方の方が筋が通ってると思っていました。

言ってる方は「あなた」で、言われてる方は「僕」だというシチュエーションでよく使われていますが、
「僕に言われても」というと、「僕」が言ってる方になっちゃって、意味が分からなかったです。

で、クラスで言ったらやっと答えが見つかりました。

「僕に言われても」というフレーズで、受け身を表す「に」と「-される」が入ってると勘違いしてました。
本当はその「に」は方向を表しているそうで、「あなたから僕に言われた」という設定だそうです。

でもなーーーんかねw
なんか納得いくようないかないような。。。
「に」を方向を表す助詞として使うんだったら、
何で「言われても」になってるかまだいまいち分かってないです。笑

クラスで言われた時に「なるほどね」って感じだったんですけども、
やっぱりちょっとねw

もう認めます。そういうもんだから。w
誰かいい説明を知ってれば、お願いします T___T






バラエティ番組やドラマなどをいつも見てるんで、
最初に違和感がある表現を何度も何度聞いたら、
その違和感がなくなっていくのです。
しかし、それがいいことなのか、悪いことなのか。

もっと自然な日本語に慣れることができますし、
もっと日本人っぽい考え方をしている証拠だという風にも考えられます。

もちろんいいことだとはずっと思ってたんですけども、
悪い点もあることに気づきました。

日本語がうまくなりつつも、
その「なぜ??」と思わせてくれる好奇心がだんだん控えめになってしまう恐れもあります。
慣れてしまうと、違和感を感じないのは便利なんですが、
なんでそういう風になってるのかという気持ちがなくなります。

幸いに、新しいことを習うとしたら、好奇心満々で向かえますけども、
ずっと前から知ってる言葉だと「なんで??」などを考えなくなってきちゃいそうです。

「僕に言われても」はちょっと例外何ですけどねー(ずっとずっと思ってたからww)


日本語だけではなく、すべてに対して好奇心を持つのは大事だと思います。

無関心が何よりも怖いからです。


いつまでも好奇心を持つと、
きっと幸せになれると思います。



なので、これからも好奇心満々
人生を生きていきたいと思います!









うわお。
こんなに話がずれるのって以前ありました??
小論文の話を完全に忘れました!

英語で書いたんですけども、
(ほかの科目で時間があまりなくて)
外国人がどういう風に日本語を見ているかはちょっと面白いのかもしれません。

もし読みたい人がいればシェアします!:)

そして、言おうと思っていたことを忘れちゃったんで、編集させていただきます!
今週の授業の最後に、
先生が僕ともう一人の学生に村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」をギフトして下さいました!
上巻と下巻がちょうど二冊ずつあったみたいなので、ラッキー!:D
「小論文を書きながらいい例えが見つからない時、これを使ってみな」と言われたんで、
今度是非使おうと思っています!!


では、また来週!



**リマインダー**

今週末の日曜日(も)お茶なしお茶会(ラスト

20:30から放送開始です!
皆さん、お見逃しなく!
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