一度で消えてしまうものは、 美しい。 | ブラウンの熊たち

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みなさんこんにちは。
日曜担当の小高です。

本日の記事は、私が昨日読んだ本「SUPERな写真家 レスリー・キー」から、
とても印象に残っている一文を紹介して始めたい思います。




「人生にとって大事なことは一瞬です。
その時見た景色が、あの時かけた言葉が、
その後の人生を大きく変えたことに気付きます。」






先日の記事の中で書いた私の大切な "太陽のような後輩" は、
私が小学校六年間通っていた学校の現在高校三年生です。
この前、その彼女にとって高校最後の、部活動の公演がありました。
彼女はダンス部に所属していまして、
秋の文化祭が、中高の長い年月を一緒に過ごした仲間と立つ最後の舞台でした。



彼女とは、今年の頭に共通の友人の紹介で知り合いました。
私の親しい友人が、彼女のダンス部の先輩でして。

そもそも母校の
二つ下の生徒なんて、本当にだーれも知らない私でしたが、
今は、出会ってたった10ヶ月とは思えないほど仲良くなりました。
理由は分からないんですけど、単純に私がすごく気に入って、仲良くなりたい!と思ったからでしょうか笑

いやいや、そういう怪しい感じじゃないんですヨ。
ただ単に、「この子の事がもっと知りたい。」と、話しているうちに思ったからです。



そんな彼女からは、最後の舞台を迎えるまで、
沢山の部活の話、葛藤、喜び、目標、不安、などなど本当に色々なことを聞いていました。

夏休み中に一緒に行った江ノ島の海岸で、
太陽の下に寝転がりながら、話したり。

私がアメリカに来てたら、
ライン上でチャットをしたり。


今となってみれば、お互いここまで打ち解ける事が出来たのは、
二人がそれぞれ違うコミュニティで生活をしていて、
違う人々に囲まれて、違う毎日を送っているからじゃないかなーって。

こう自分の思いの内を私にシェアしてくれた彼女から
私は沢山のことを気付いたし、考えさせられたし、
きっと彼女にとっても、少しでも意味のある会話は出来たんじゃないかな。


そして、彼女にとって思い入れのあるこの舞台に、
私はドキドキとか、ワクワクとか、そんな色んな感情が入り交じった不思議な心境で向かいました。






その日の朝一番、私が家を出る前に忘れないようにカバンに入れたのが、
カメラ。

私は、フィルムカメラでは一枚一枚を大切に、
ちゃんと考えて撮ろうと決めています。

だから、
公演の最後、総勢97人のダンス部部員全員が集まったときに、一枚だけ、
たった一枚だけ大切に写真に収めよう。


そう思っていました。






今年の舞台は、『美女と野獣』


いざ、ラスト。

その瞬間までじーっと舞台に立つ後輩達を見ていて、
ふふっと笑みがこぼれたり、
ただただ、「なんか....スゴイ....」と見とれたり。

小学生時代から見慣れている小さくもないけれど大きくもない舞台を、
その最後のシーンで、
小さい中学一年生から、必死に涙をこらえる高校三年生、全97名のパフォーマーが埋めます。


いざ、となったら、
なぜか、
握りしめて準備をしていたカメラを、カバンから取り出すことが出来ませんでした。

なんだか急に、撮りたくなくなった。


ここで一枚、シャッターを切る。
目の前に存在する光景が、今、この瞬間自分の目に写っている絵が、
自分のフィルムロールにずっと写真として残される。

そんな、ごく普通で、当たり前な事に気付いた時、
私はカメラを構えることをしたくなくなりました。




撮らないでおこう。撮らない方が良い。


ふと、そう思いました。





私は、あまりダンスのことは知らないし、全然分からない方だと思います。

目の前で踊っている人達は確かにたかが中高生かもしれない。
けれど、なんだか新しい形のアートに巡り会えたような気がしました。


その場の雰囲気とか、見ているお客さんのコンディションとか、
もちろんパフォーマーのコンディションとか。

その場所で流れ続ける一瞬一瞬に対して、
そこにいるそれぞれの人が違う反応をします。

違うことを考えて、違うことを感じて、違うところを見る。


こういうことすべてを舞台に立っている人達がその瞬間に考えているかっていうと、
それじゃないと思うんですけど。
なんか、それぞれの人達が、自分の役目というか、"role" に徹底してるというか。

そしてそれを、お互い半無意識的に、与えて、与えられて。


そういう、本当にすべてが重なり合って、奏でるハーモニーというか、
すべてが合体してつくる空間こそが、作品なんだなあと。






一度で消えてしまうものは、
美しい。



そう心から思った。
や、思ったというか、半分無意識で感じていた様な気がしたというか。

うーん、上手く表現出来ないけれど、そんな感じ。



何かが、触れられたり眺められたりする「物」として存在することって、
なんらかの形で何かに欠けているような気が、私はします。

別にそれが良いこととか、悪いこととか、そういうんじゃなくて。




ただ、あの時私が、
一枚の写真として、いち瞬間を記録出来なかったのは、
すごくシンプルな理由です。





ずっと、雰囲気だけで思い出したいな。






そう思ったから。

そう思えたからです。







今はまだ、私が見た『美女と野獣』の舞台を、その絵を、
頭のなかで思い浮かべることが出来ます。

でもきっと、残念ながら
年月も立てばこうでは無くなるでしょう。

あの時にあの人がこんな表情をしてた、とか、
このシーンのあそこが良かった、とか、
そういった細部を忘れてしまうでしょう。


でも、
あの時に、
あのホールのあの席に、
私は確かに座っていて。

半永久的に、あの時に自分を包んでいた雰囲気みたいなものは、思い出すことが出来ると思う。






私は絵を描きます。

絵は、目や手や足で実物を確認することが出来る「物」として存在します。

そして人々は、厚みやテクスチャーのあるキャンバスや紙の上に描かれたものを眺めます。


だからこそ、

私はこの公演を見て、
不思議にも心に残る、新しい感覚みたいな何かを見つけることが出来ました。



こういう形のアートも、良いなぁ。
ってね。










一瞬は、今も、一つ一つエンドレスに生まれて続けていて、

重なり合って、次々へと繋がりながら、

前の一瞬を上書きしたり、飾ったり。



スーッと流れていく、一瞬一瞬に目の前に広がる光景が、
どんどん視界から変わっていって、消えていってしまう。


時は止まらないし、
それは、当たり前のことだけれども。




その一瞬は、その一瞬で消え去ってしまうからこそ、
とてつもなく切なくて、

とてつもなく美しい。




**リマインダー**

次回のお茶なしお茶会
27日
20:30から放送開始です!
皆さん、お見逃しなく!

過去の配信はこちらから観れます。

http://www.ustream.tv/recorded/38790557


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