何故俺たち日本人は、戦艦「大和」に惹かれるんだろ。。。 | ラブホコンサル関羽のぼやき

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ラブホテル再生プロデューサー関羽が、ラブホ絡みの話題、その日その日に思うことを鈴なりに綴る。

服屋の店員さんに言いたい。たまには、その服似合ってないですよ、の一言欲しい。

 

 

 

 

皆さん、ども。

 

 

 

終戦記念日、

またやってくるね。

 

その頃になると、

どうしても

特攻と大和が

頭をよぎる。

 

今日は、

その戦艦 大和に、

というか

何故、あの艦には

惹かれるものがあるんだろか?

 

を、

いつものように

独断偏見で

語ってみたい。

 

 

 

 

まず、上の画像。

 

こんなに威厳と気品に満ちた

美しい戦艦を

俺は見たことない。

 

同時代の

ドイツのビスマルク・ティルピッツ

イギリスのプリンスオブウェールズ

アメリカのアイオワ・ミズーリ・サウスダコタ

と比べても、抜きん出てる。

 

それと、

あえて、彼と呼ぶが、

 

彼の悲劇の運命が

人に重ねてしまうんだろな。

 

大和には、

世界一の名刀なのに

有効に使われなかったという

可能性への郷愁があるのだと思う。

 

もっとも、

日本人の判官贔屓の心情に合う。

 

判官贔屓の原則は決まっててさ、

能力のある者が

それを発揮できず悲劇的な末路をたどる。。

 

こういう姿に

日本人は深い共感と同情心を抱いてきたと思う。

歴史上では源義経がそうだよね。

 

大変な能力を持ちながら、

それを存分に発揮できず

悲劇的な最期を遂げた

大和はまさにそう。

 

それから

もう一つ考えられるのが

「大和」という艦名。

 

大和はいまの奈良地方だが、

と同時に

日本国の総称でもある。

 

たとえば、

武蔵だと

関東のローカル名という感じだけど、

 

大和になると誰もが

「ああ、日本の船」だと感じる。

そんな違いもあるんじゃないだろか。

 

大和の最後までの

いくつかの海戦があるが、

そこは割愛させていただく。

 

簡潔に言うと、

 

使うべきところでモノ惜しみをした。

 

これに尽きる。

 

アホな参謀達よ。

 

そして、

無謀というか

自殺に近い命令を

受けることになる。

 

沖縄への海上特攻。

 

護衛戦闘機なしで進撃し、

味方航空部隊の米艦船攻撃を支援、

さらにその後、

沖縄西方海面に突入せよ、という命令。

 

護衛機が一機もいないんだよ?

もう、無茶苦茶やろ。

 

それでも、

乗組員たちは、

 

「一億総特攻のさきがけ」を

受け容れて出撃した。

 

海上決戦兵器として、

建造されたはずの大和が、

なぜそのとおりに使われなかったのか。

 

良し悪しは別として、

残念でならない。

 

さて、あらためて

冒頭のなぜ大和に惹かれるのか?

に戻ると、

 

俺は、

やはりモノとしての大和ではなく、

それに関わった日本人の気概、勇気に

共感するからこそ

惹かれるのだと思う。

 

特攻隊も同じだけど、

 

運命を受け容れて、じたばたしない。

諦観とは違う、

覚悟を決めた上での死生観の凄みというか…

 

言葉として

こなれた表現ができないんだけど、

そんなところが

いまも日本人の琴線に触れるのではないか。

 

まぁ、こういう物言いをすると、

「戦争を美化するのか」

と抗議されそうだけど。笑

 

そうじゃないけどね。

 

でも、戦後、

大和と武蔵は沈んだけど、

 

造船の技術は沈まなかった。

その後の日本の造船業の隆盛

を見るとよくわかる。

 

最後に、

悲劇的な最期を遂げた大和。

 

日本人の心の中では、

たとえば

「宇宙戦艦ヤマト」のように、

忘れられることなく甦ってくる。

 

ん~、

おそらく、そこに日本人の琴線に触れる、

確かな何か、があるからなんだろうな。

 

世界一の戦艦大和は、

栄光ではなく

悲劇として

日本の歴史に刻まれてる。

 

しかし、

その悲劇は誇りとともにある。

 

この、

妙な矛盾は忘れてはならないと

爺は思う。

 

では、本日の語りは

ここまで。

 

 

じゃ、またね♪