介護帰省の続きです。



昨日母のケアマネさんが来ました。


母は私がいなくなった後の兄のプラン、


食事は宅配弁当

お風呂はあきらめ週一回のヘルパーによる身体を拭くだけ


という提案に絶望していました。


宅配弁当だと、左手でうまく食べられない

今ですら2日に一度は洗髪までしているのに、その衛生観念は耐えられない


という理由です。

そりゃごもっとも。


母は頭がしっかりしているので、自分でケアマネさんを呼び、話し合いも自分だけで(兄も私も同席せず)していました。


母の希望としては、骨折が癒えるまでどこかの施設なり病院なりに入所したいということ。


ケアマネさんいわく、いまどこも空きがなくてむずかしいと。


私が去った後、敷地内同居の兄に頼る気ゼロなんですねー。

なんだかなー。


母は私と違って社交的なんです。


骨折したという噂は瞬く間に広まり、次から次とお見舞いの品が届くし、ジャンジャン電話がかかってくる。


娘が帰ってきてくれて身の周りのことをしてくれているのでお気遣いなく なんて言ってる母は嬉しげです。

なんならマウント取ってるぐらいな。

娘が世話してくれるというアクセサリーみたいな。


それもなんだかなー。


母の社交的才能により、知り合いのお医者の勤務する病院が引き受けてくれることになった模様。

私がいる分には入院しないでいいんですよ?

アメリカで入院っつったら、どんだけの銭がかかることか。

入院ってそんな程度のことでするもんじゃない、という感覚が抜けません。


なんで兄は細々面倒を見ないのだ、という思いはあります。

言いませんけど。

言って、やるぐらいなら、とっくにやってるでしょう。


そのあたり、兄のアテにならなさは母も覚悟していると思います。

短期間であれ、私に甘えたいのでしょう。


私は育て分けをされたことを深ーく深ーく根に持っているので、ずるずる甘えられても、と思っています。

それで得するのは兄ですし。

私は都合のいい女じゃない、舐めんなよ、という気持ちがあります。