実家に帰省しています。

目的は、歩道で転んで右肩と右膝を骨折した母の介護です。


母は兄夫婦と敷地内同居をしており、転んだ直後も兄嫁が駆けつけて一緒に救急車に乗って搬送されました。

兄も 帰ってこなくても大丈夫 と言いました。

だから私も帰省するつもりもなかったのです。


母に電話すると、私に帰ってきてほしそうでした。

帰ってこい とは言わないんですよ。

でもそのあたり、分かるじゃないですか、強い圧。


私が帰省することを実家の皆さんは全員喜んでいます。

そりゃそうでしょう。

遠慮のいらない便利な無料の介護要員が手に入ったんですもん。


お風呂に入るのの手助けだって、母にしてみりゃ兄や兄嫁よりも娘の方が気兼ねない。


いいんですよ、介護帰省するのは。

でも私の立ち位置ってヌーヨオクにいるときからいつもこうです。

最終的に当てにされる立場です。

アイツがなんとかしてくれる、てなもんです。

都合のいい女なんですよ。


典型的な昭和の子育て方法で、私たち兄妹は育てられました。

いわゆる「育て分け」ってやつです。


両親は兄に手間ヒマとお金をかけ、手元に置きました。

私は放置され、自立心とたくましさを身につけました。


私が帰省するまでの3日間、母は下着はおろか、靴下も脱がせてもらっていませんでした。

服は道で転んだ時のまんまです。

食事は夜だけ、兄嫁が運んでいるようでした。


兄は病院へ行き、壊れたメガネを修理しただけです。

それで介護をした気分になっている。


左手でも食べやすいように工夫した3食の食事作り。

ご飯はおにぎりにして、肉団子を一つずつレンゲにのせて出す。

果物をむいてフォークに刺す、など。


掃除洗濯。シーツ交換。

前開きの下着やカーディガンの購入。


お風呂は入れないので、シャワーを手伝います。

頭だって洗います。

入浴後は体に薬を塗って、服を着るのを手伝う。


そういうのをやっています。


でもずっとじゃありません。

10日間ほどの予定です。

私は東京でキッチンリフォームとか引っ越しをしなくちゃならないですから。


私がいなくなったら、宅配弁当を取るそうです。

身体は週に一度ヘルパーさんを頼んで拭いてもらえばいい と兄は言いました。

2日に一度はシャワーに入って洗髪もしてるけどな と言ったら、少し驚いていました。


それをオマエがやったっていいんだよ? 料理もオマエが作ればいいんだよ? と思ったけど言いませんでした。


そういうことを自分がやるとは微塵も考えていないオッサンを作り出したのは、紛れもない母なのです。

すべては回り回ってきますね。


まあムカつきますよ。

母にも兄にも。

でも私がこれをやるのは、来月90歳になる母への罪悪感です。

10日ほどのことだと思えば「無」になれます。