最近、すっごいショーゲキ的な気づきがあったのでまあちょっと整理して書いておこうと思いまして。
ちょっと育児で精神的に病んでいる方にとって
「あ~、そういう考え方もできるのか」
っていうブレイクスルーにでもなれば、って思って、筆をとらせていただいています。
で、本題なんですが、
わたし、今は4歳と0歳の息子2人の育児をしているんですね。
正直、自分自身に育児適正があるとは思っていません
で、「子育て」に対してめっちゃマイナスなイメージしかなかったんですよ。
これはおそらく、
自分自身が母親からマイナスのイメージを与えられて、
それがきっかけで、さらに自分で自分にマイナスのイメージを植え付けてしまったせいだろうなぁと今では解釈しております。
とくに 「子供は金食い虫だ」 というイメージが子どもの頃から強くありまして、
だから子どもなりに「存在してすみません」と思ってきたんですね。
口に出したら惨めすぎるからそんなことは言ったことないけど。
だから、いざ妊娠して、
自分が「親」の立場になって「子(=金食い虫)」を持つとなると考えると、
恐ろし~~~
って思いました。
で、実際に育児をやってみると、
お金どころか、時間も手間も精神力も体力も使うし、
まあワンオペだったもんだから、
365日24時間営業でうわ~~~~~ってなったんですよ。
しかも、子どもってもうナゾすぎるし!
何を訴えてきてるのか分からないし、
何回同じこと言っても通じないし、
自分の時間はなくなるし、
自分の子供に対して365日24時間体制でがんばったところで別に報酬が出るわけでもない!!
子育てなんてもうイヤ!やってられない!もう家出したい~!!
ってけっこう追い詰められたことも多々あります
でも、悩んだりイライラしたりしてるだけだったら建設的じゃないから、
「いやいや、子育ては自分の成長のためだ」とか、
「子どもは神様からの預かりものだ」とか、
「子育ては修行だ」とか、
「子育ては日本のためだ」とか、
自分に前向きなことを言い聞かせたりもしたんですね。
でもなんかぜんぜん腑に落ちない。
「育児とはなんぞや?」
と思いながらも日々やることやってきた、って感じだったんですけど、
先日ん??と引っかかったことがありまして。
というのも、いま個人的に
「マイナスに考えていることをプラスに思考転換して考えてみる」
ということがマイブームなので、それを育児に関してもやってみたんですよ。
すると、
子ども=お金を奪う
という思い込みなんですが、
これ180度思考転換させてみると、
子ども=お金が増える
になるんですね。
いやー、今までにない考え方だったなぁ。
ほんとにお金を増やしてくれる存在なんだったらありがたいわ~。
って思ってたんですが、
これ深堀りすりと、
意外とほんとに
「子供ってお金も含んだ「豊かさ」をもたらしてくれる存在」なのでは??
って思い至ったんですよね。
さっき上で「子育ては修行だ」と書いたんですが、
まさしく「子育ては修行だ」と思うのですね。
より正しくは「子育ては功徳を積む修行」ということです。
そして、上記で使っていた「修行」とは、
「辛い」とか「精神鍛錬」という意味を込めて使った「修行」で、
これはそもそも「修行」呼ばわりしてたこと自体が誤りで、「苦行」という方が合っています。
ここでは私自身が子供の頃から抱いていた思い込みを使うと、
「子供は金食い虫」
なわけですね。
まー、意外とそう思ってる人って多いんじゃないかな~と思うんですけど・・・。
で、ここで大人→子どもに対して、「上から目線」なのがそもそも大間違いなのではないかと考えました。
「子供に〇〇してあげているから、親はエラい」って考えているということです。
そうじゃなくて、(ちょっと語弊がありそうなんですが)
「親は子どもに〇〇させてもらっている」って考えてみるということです。
「子どもに時間をかけさせてもらっている」
「子どもにお金をかけさせてもらっている」
「子どもに愛情をかけさせてもらっている」
って考えてみるっていうことです。
これ、今まで微塵も思ったことない人だったら、
文章読んでるだけで「うわ~っ」って拒否反応とか違和感ありありだと思います。
でも、この「〇〇させてもらう」って、いわゆる 「与える精神」 ですよね。
引き寄せの法則
鏡の法則
因果応報
情けは人の為ならず
呼び方はいろいろありますが、「自分が出したものが返ってくる」っていう考えですよね。
ちょっと仏教的な話になってしまいますが、
「托鉢」ってご存知でしょうか。
「僧侶が鉢を手に街頭に立って、お金や食料などをいただく行為」です。
大阪にいた頃はけっこう駅前とかでお見かけしました。
まあ詳しくは自分でググってみてくださいって感じなんですが、
「托鉢」って僧侶のための修行っていうよりも、「民間人のためのもの」っていう側面が強いんですね。
「施しをすることで、功徳を積む」という考えがあるからです。
善因善果(ぜんいんぜんか)…善が善をうむ
っていう思考・行動ですね。
そう考えると、
「何も持たない存在=子ども」に対して「与える精神」を持つことは、
まさしく功徳を積む修行ではないか、と思ったんですね。
善因善果、
「良いエネルギーを出したから、いずれ何らかの形で良いエネルギーとして自分に返ってくる」ということ。
だから「子ども=(お金に限らず時間や手間などを)奪う存在」っていうのは大間違いな考えではないか??
むしろ、色々とやらさせていただいてるありがたい存在!?
と、「子ども=金食い虫」の思い込みで生きていた私にとってはショーゲキ的な考え方が出てきたんですよ。
まあ、仏教でいうところの「因果応報」は前世とか来世も含むよ~って感じらしいですが。
でも、わたしは考え方として因果応報はあるよなーと肯定してますので。
この考えでいくと、虐待とかあり得ん!!ですよ。
めちゃくちゃ貧しい思考と行動ですよね。
そんなわけで、
「育児とは功徳を積む修行のようなもの」
「子どもは時間・お金・愛情、その他もろもろ、親のエネルギーを受け取ってくれる存在」
「子どもは“与える精神”を促してくれる存在」
上記のような文脈が、今の私の育児に対しての考え方になりましたね。
子ども=金食い虫より、ぜんぜん良い思考かな~と思います。
まあひとつの「考え方」ですが、
ただ「考え方」一つで人間ラクにも苦にもなりますのでね