ブロンプトンでロケ地へ行こうシリーズ。テレビドラマ歴代最高視聴率を記録したNHK朝の連続テレビ小説『おしん』をご存じだろうか。朝ドラの最高傑作とされる。その有名なロケ地へ行ってきた。

 

 

『おしん』は1983年4月4日から1984年3月31日の1年間放送された。視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)が平均52.6%、最高62.9%と今から思えば考えられない注目度であった。少女期おしんは小林綾子さん、おとなになってからのおしんは田中裕子さん、老年期は乙羽信子(故人)さんが演じた。

 

 

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『おしん』は、アジアや中東、アフリカを中心に60以上の国や地域でも放送され、世界的な『おしん』ブームを巻き起こしたことでも有名だ。

 

エジプトでは1993年に放映された。貧しい農村に生まれたおしんが苦難にめげずに生きていくというストーリーは、エジプト人の琴線にふれた。特に中高年女性の胸を強く打ち、放送時には街中からオバチャンが消え、『おしん』放送期間中はオバチャンたちが涙を拭くためにティッシュペーパーがよく売れた。また、停電で放送中止となったとき暴動が起きたといわれる。

イランでは1986年に放映されて最高視聴率が90%を超えるまさに国民的ドラマとなった。『おしん』が放送される土曜9時には通りから人が消えたという。おしんの結婚後の姓である「田倉(たのくら)」がペルシャ語になっているぐらいだ。当時経済的に苦しかったイランでは商人たちが密輸古着市場を立ち上げた際におしんの衣料事業での成功と、日本の経済的復興にあやかろうと「タナクラバザー」と名付け、その後、古着市場と古着のことを「タナクラ」と呼ぶようになった。
台湾ではテレビで何回再放送されたかわからないほど(30回以上再放送されたといわれる)で、『おしん』(中国名:阿信「アシン」)を知らない人はいない。ただでさえ世界トップの親日感情がさらに爆上がりしたという。

ベトナムでは現在でも、幼いおしんが子守りとして奉公に出たエピソードから、家事手伝いの人を『おしん』と呼ぶことがある。
ガーナでは『おしん』は慣用句となり、『おしんみたいに苦労する』と言われたら、それは本当に大変な思いをするぞという意味だそうだ。

ジャマイカでは男女ともに自分の子供に「オシン」の名前を付けるのが流行した。

中国、韓国、シンガポール、タイ、インドネシアでも放送されて視聴者が『おしん』に涙し、それまで「太平洋戦争で我々をひどい目にあわせた」「なんか気取ってる」と思っていた日本人のイメージを大いに変えたという。

 

おしん、スゴイ。

 

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『おしん』の名場面としては最上川の川下りのシーンが最も有名だろう。口減らしで丁稚奉公へ出るため雪の残る真冬の最上川を筏で下る別離の際に6歳のおしん(子役の小林綾子さん)が「かあちゃ~ん、とうちゃ~ん」と叫び、ピン子さんが「おしーん!」と悲痛な声をあげながら川岸を転げるように走る印象的な箇所である。リンゴを満載したブロンプトンで、そのロケが行われた場所に行ってきた。

 

月山が雪に覆われ始めた。今年ももうそんな季節である。

 

最上川だ。おしんが奉公先の左沢(あてらざわ)町の材木問屋へ向かう川下りの際に揺れる筏にしがみつきながら通ったはずの最上橋のあたり。左沢は江戸時代から明治初期にかけて最上川舟運の一大拠点として非常に栄えていた。

 

見えてきた。ロケ地は、最上川が山間部を大きく湾曲しながら流れてきて山形盆地へと流れ込む手前の「大明神淵」という箇所である。昔から舟運の難所であったという。

 

「ロケ地はこちら」の立て札。

 

たどり着いた。



日本語、韓国語、中国語(簡体字)、中国語(繁体字)で説明されている。どうせなら、ペルシャ語とエジプト語も追加したらどうだろうか。ちなみに英語は無いのが面白い。英語人は来ないのか。

 

山形の貧しい小作農家に育った6才のおしんが米一俵と引き換えに舟に乗って奉公先へと旅立った場所だ。

 

筏下りの一場面である。

(写真出所:NHKアーカイブス

 

ロケ日は1983年1月18日だったというからマジ寒かったに違いない。(山形県西村山郡大江町大字藤田)

(写真出所:NHKアーカイブス

 

本日は釣り人がのんびりと釣り糸をたらすようなさわやかな秋の日だった。

 

おしん少女時代の場面の多くは山形県西村山郡中山町岩谷地区やここ大江町などで撮影された。


両親が口減らしのためおしんを奉公に出す『おしんを見送る最上川の川下り』は明治初期の日本における農村の貧困と悲惨さを象徴するシーンだったが、現代のこのあたりは日本一おいしいりんごで有名で、ラ・フランスや桃などのフルーツの産地としてとても豊かな農業地帯である。

 

川下りまでのあらすじ


6才のおしんは、家計を助けるため左沢(あてらざわ)の材木問屋中川材木店に奉公に出ることになった。出発の前の晩、おしんの前払いの給金の米で白飯が振る舞われた。父・作造(伊東四朗)は、正月でもないのにと不機嫌になり、祖母・なかはおしんを不憫がって泣いた。翌朝明け方、おしんが目を覚ますと、母・ふじ(ピン子さん)はおしんのために着物を仕立て直していた。ふじはその着物をおしんに着せ、「これからは1人で生きるんだ。帰りたい時も辛抱しろ、でもどうしても辛抱し切れなかったら帰って来い」と声をかけ抱きしめ泣いた。いよいよ出発の時を迎えると、なかが皆に秘密でおしんに50銭銀貨を持たせてくれた。おしんは船賃節約のため、材木店の使用人が漕ぐいかだで、雪の残る最上川を下り奉公先に向かった。母も父も泣きながらおしんを見送った。

 

 

それでは秘湯へ行こう。

 

(続く)

 

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