ブロンプトンで都内。ブロンプトンで感染防止策を講じながら近場のおいしいものを探しに行くシリーズ。城南五山めぐりの話の後編。

(前編)

 

朝いちばんでセイジアサクラのカレーパンを買えたので、そのあとはブロンプトンに乗って上機嫌で城南五山(御殿山、八ツ山、島津山、池田山、花房山)のポタリングである。

 

(御殿山庭園)

 

[走行データ]

ルート 慶応大学(三田)→①セイジアサクラ(高輪)→八ツ山(港区高輪三・四丁目)→御殿山(品川区北品川四丁目)→島津山(品川区東五反田三丁目)→池田山(同東五反田四・五丁目)→花房山(品川区上大崎三丁目)→②ガスタ(白金)

走行距離 13.05キロ

最高高度 44 m
最低高度 11 m

使用機材 M3L(ワイドレンジ3速)

 

八ツ山、御殿山を訪ねたあとは、島津山、池田山、花房山の順にめぐることにする。が、その前に立ち寄らなければならないところがある。「都内で一番の急坂」である。グーグルマップを見ていてたまたま発見した。これまで聞いたことがない・・・。

 

ここだ。

 

自転車に乗った子供連れの夫婦がちょうど通りかかった。オカーサン「パパ、なんでこんな道を通らなくちゃならないの!(プンプン)」、オトーサン「グーグルで調べたらこの道がでちゃったんだよ。」 コドモ1「コワイヨー。」

 

階段の手前までが、一応、車道らしい。

 

ころんでケガでもしたら医療関係者に迷惑をかけてしまう。ブロンプトンで登ることは素直にあきらめた。(今回のルートでは幸いにも下りでした。助かった。)


城南五山めぐり三か所目の『島津山』にやってきた。島津山のてっぺんには清泉女子大学と高級住宅地がひろがる。最高点の標高はガーミン測定値で30メートル少々。

 

蔦のからまる高い煉瓦塀に、さりげなくローズマリーの花が咲いているなんて、素敵すぎる。

 

東京でも真の高級住宅地とはこのあたりのことをいうのだろう。

 

島津山は、江戸時代後期には仙台藩伊達家の下屋敷、維新後は薩摩藩主であった島津侯爵家の邸宅となった。旧地名は袖ヶ崎と云い、はるか昔、この高台が海または川に突き出た岬であったことをうかがわせる。ちなみに都営地下鉄高輪台駅近くに袖ヶ崎神社があり、旧地名の名残りもみられる。

 

次に『池田山』にやってきた。江戸時代には備前岡山藩を治めた池田家の下屋敷があった。標高は39メートルほどある(ねむの木の庭公園のあたり)。

 

池田山のてっぺんにインドネシア大使館の官邸がある。立派だ。

 

池田山といえば、美智子皇后さまのご実家跡地である ねむの木の庭公園 が有名だ。

 

そして五か所目の『花房山』にやってきた。標高は最高地点で池田山と同じ程度の40メートル。

 

江戸時代後期、花房山の住人は森伊豆守(もりいずのかみ)であった。森伊豆守は播州三日月藩の藩主で、戦国時代に織田信長に仕えた森可成(よしなり)の子孫である。森家は本家・分家にわかれて大名家として幕末まで生き延びた。

 

 

大正時代に入ると花房家がここに別邸を構えたことで「花房山」と呼ばれるようになる。備中(岡山県)の藩士であった花房端連(=まさつら、岡山藩花房家の養子となる前の姓は徳田)が、維新後、実業家として紡績業その他の事業で財を成し、その息子で外交官の花房義質が1911年に子爵となった際にこの山を購入して別邸を構えたらしい。

 

高齢化社会を象徴するかの如く、花房山の頂きの一等地には特別養護老人ホームがあった。

 

南向きの高台にひらかれた日当たりのよい土地柄である。昔は大層見晴らしの良いところであったに違いない。

 

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城南五山巡りを終えて、白金のガスタの前を通りかかった。

 

すると「チョコレートバスクチーズケーキ」という聞きなれない新商品を発見!

 

チョコレートバスクチーズケーキ(右)の方は2021年1月6日発売の新商品だそうです。早速購入しました。オイシイです。

 

 

関連記事:

(城南五山めぐり前編)