「嫌い」は「恐怖」 | キ〇ガイの記録

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精神異常者のたわごと

色んな「~嫌い」が世の中にはあると思う。

 

私自身、自分について「人間嫌い」だと思っていた。

 

でも、SNSなんかで発信したり他人の意見を気にしたり、人の考えや行動に興味がすごくあったり、人との繋がりを感じたり、優しくされたら嬉しかったりする。

 

この間ライブへ行った時、トイレの洗面所で同じアーティストのバンT着た人に「同じですね!楽しみですね!」って話しかけられたのだけど、とても嬉しかった。

私が本当に人間”嫌い”だったら、嫌悪感しか感じなかっただろう。

 

なので嫌い、ではなくただの恐怖症なんだと思う。

 

そんな訳で、「~嫌い」というのは大概にして「恐怖症」じゃないかと思っている。

迫害されるのが怖くて憎んでいるという事。

 

迫害されたくなければ、優しく接するものだろうが、まるで機械がバグったみたいに、迫害される原因を自ら作り出すという思考回路は、冷静に考えるとすごくおかしい。

 

要は、頭が悪いんだろうな。そしてどういうわけか、理屈っぽい人程、こういう理屈に合わない負のスパイラルを作る事が多い気がする。

 

理屈に囚われない人は、何か嫌いな者があっても大概にして、簡単に覆る事が多い。理屈っぽい人は、嫌いな者に理屈でケチをつけ、その理屈にいつまでも縛られて生きる。

 

 

馬鹿は死ななきゃ治らない、というように、分かってもなかなか治るものじゃあない。

でも認識するだけでも、かなり違う気がした。

 

嫌いだと思っている相手の事、本当に嫌いなのか、自分を正当化し目を逸らす言い訳をせずに考えてみても、良いんじゃないかと思う。

 

嫌いだと思ってる相手との間に繋がりができたり、優しくされたりしたら嫌ですか?その人の事、本当に嫌い?