愛車オイル交換
夏休み日間中は、行事があり車移動が多くなります。
ということで、愛車「CR-V」のオイル交換をして頂きました。

オートアールズ 佐野店
住 所:栃木県佐野市堀米町字雷電山西466-1 (車で約7分)
T E L:0283-21-5877
ここの継続会員です。

メンバーズカードは、一年間有効。

愛車をいたわる上で欠かす事のできないオイル&エレメント交換は工賃無料。
オイル漏れを招くパッキンが傷んだら無料で交換してくれるそうです。

車が、リフトアップされ古いオイルが抜かれます。
その間、無料サービスで外回りやエンジンルームの点検もしてくれました。親切です。
オイルを入れ終えると放送で呼び出され、立会確認になります。
・オイルは、3,000KM毎を目安に交換。次回は、39,308Kmです。
・バッテリーは、電圧低下(注意)です。
・ラジエターは、良好です。
・ラジエターバルブ圧は、良好です。
・オートマッチックオイルは、汚れています。
・エアーフィルターは、良好です。
・タイヤの状態は、浅溝です。(注意)
・ワイパー・ウオッシャー液は、良好です。
・ブレーキオイルは、汚れています。(注意)
・パワステオイルは、汚れています。
などの点検時の確認も致しました。
走りが、滑らかになったようです。

来月末までキャンペーン中です。
ということで、愛車「CR-V」のオイル交換をして頂きました。

オートアールズ 佐野店
住 所:栃木県佐野市堀米町字雷電山西466-1 (車で約7分)
T E L:0283-21-5877
ここの継続会員です。

メンバーズカードは、一年間有効。

愛車をいたわる上で欠かす事のできないオイル&エレメント交換は工賃無料。
オイル漏れを招くパッキンが傷んだら無料で交換してくれるそうです。

車が、リフトアップされ古いオイルが抜かれます。
その間、無料サービスで外回りやエンジンルームの点検もしてくれました。親切です。
オイルを入れ終えると放送で呼び出され、立会確認になります。
・オイルは、3,000KM毎を目安に交換。次回は、39,308Kmです。
・バッテリーは、電圧低下(注意)です。
・ラジエターは、良好です。
・ラジエターバルブ圧は、良好です。
・オートマッチックオイルは、汚れています。
・エアーフィルターは、良好です。
・タイヤの状態は、浅溝です。(注意)
・ワイパー・ウオッシャー液は、良好です。
・ブレーキオイルは、汚れています。(注意)
・パワステオイルは、汚れています。
などの点検時の確認も致しました。
走りが、滑らかになったようです。

来月末までキャンペーン中です。
この国のニューリーダー
「これはまずい」と声が上がっても、誰も勇気と責任を持って改革をしようとしない。
「今まで何とかなったのでだから、これでいいじゃないか」という理論がまかり通る。
電池が切れて、スイッチを入れてもつかなくなった懐中電灯。
組織の老朽化「このままでいい」と高を括る体質を、変えなければいけないと思います。
私たち日本人は、農耕民族。
狩猟民族は、年齢や経験に関係なく「現時点で最も能力がある者」をリーダーに選びます。
獲物を捕える能力のない者や危機を察知、解決する力のない者に率いられると、直ぐに全滅してしまうからです。農耕民族のリーダーに要求されるのは「調整力」です。メンバーの間に波風を立てず、いかに勤勉に水や肥料をやり、収穫を上げさせるか。いかに不満や不安を抱かせないようにするか。
言い換えれば、現実を直視するより、まずは仲間を不安がらせぬように努めることを優先することが、農耕民族のリーダーの手法です。「たいしたことは無い」・・・。
今回の原発においても「たいしたことは無い」と何度も東電は発表しました。
さあ、ニューリーダーは、いつでも、どこでも、誰にでもなれます。
ビジョンを自分自身の言葉で語り、その目的を達成するために責任をとる覚悟と最後まで諦めない行動を自ら起こすことです。
議論し、切磋琢磨し行動しましょう。
一人ひとりが「社会の現実」に「自分の人生」を投入し、葛藤の中から知恵を生み出し、志を果たさんと道を拓いて歩みましょう。
その歩みの底流をずっと変わらずに貫いて行く。一人ひとりの“志”が大切です。
“志”を何より尊重し“志”を支援しあい“志”を育むコミュニティが必要です。
“志”を育むとは、漠然とした思いを鮮明にしていくことだと思います。
そして、思いを鮮明にするためには『削ぎ落とす学び』が必要となります。
私たちがこれまで慣れ親しんできた学びは、外からの情報や知識をどんどんインプットしていくものでした。しかし、こうした学びを続けるだけでは、志を埋もれさせてしまう可能性があるのです。
いらないものを徹底的に削ぎ落とす。
それによって、本当に大切なものにアクセスすることができます。
さらに、その本当に大切なものに全力を注ぎ込むことができるようになるのです。
様々なプロジェクトにおいても同じです。
具体的に誰に応えたいのか、徹底的に絞込み、一人の人間に定めていきます。
そして、その方に会いに行き、話を聞かせていただき、その方に徹底的にアクセスしていくことで、問題の根源もビジョンも浮き彫りになっていきます。
具体的に一人の人間に応えるために、自らの志を鮮明にして完全燃焼する。
その熱が激しければ激しいほど、続々と他の方へと連鎖を起こしていきます。
社会が変わるとは、そういうことだと思います。
すべての人たちが志を生きる。
これこそが、新しい国づくりの礎であると信じています。
「今まで何とかなったのでだから、これでいいじゃないか」という理論がまかり通る。
電池が切れて、スイッチを入れてもつかなくなった懐中電灯。
組織の老朽化「このままでいい」と高を括る体質を、変えなければいけないと思います。
私たち日本人は、農耕民族。
狩猟民族は、年齢や経験に関係なく「現時点で最も能力がある者」をリーダーに選びます。
獲物を捕える能力のない者や危機を察知、解決する力のない者に率いられると、直ぐに全滅してしまうからです。農耕民族のリーダーに要求されるのは「調整力」です。メンバーの間に波風を立てず、いかに勤勉に水や肥料をやり、収穫を上げさせるか。いかに不満や不安を抱かせないようにするか。
言い換えれば、現実を直視するより、まずは仲間を不安がらせぬように努めることを優先することが、農耕民族のリーダーの手法です。「たいしたことは無い」・・・。
今回の原発においても「たいしたことは無い」と何度も東電は発表しました。
さあ、ニューリーダーは、いつでも、どこでも、誰にでもなれます。
ビジョンを自分自身の言葉で語り、その目的を達成するために責任をとる覚悟と最後まで諦めない行動を自ら起こすことです。
議論し、切磋琢磨し行動しましょう。
一人ひとりが「社会の現実」に「自分の人生」を投入し、葛藤の中から知恵を生み出し、志を果たさんと道を拓いて歩みましょう。
その歩みの底流をずっと変わらずに貫いて行く。一人ひとりの“志”が大切です。
“志”を何より尊重し“志”を支援しあい“志”を育むコミュニティが必要です。
“志”を育むとは、漠然とした思いを鮮明にしていくことだと思います。
そして、思いを鮮明にするためには『削ぎ落とす学び』が必要となります。
私たちがこれまで慣れ親しんできた学びは、外からの情報や知識をどんどんインプットしていくものでした。しかし、こうした学びを続けるだけでは、志を埋もれさせてしまう可能性があるのです。
いらないものを徹底的に削ぎ落とす。
それによって、本当に大切なものにアクセスすることができます。
さらに、その本当に大切なものに全力を注ぎ込むことができるようになるのです。
様々なプロジェクトにおいても同じです。
具体的に誰に応えたいのか、徹底的に絞込み、一人の人間に定めていきます。
そして、その方に会いに行き、話を聞かせていただき、その方に徹底的にアクセスしていくことで、問題の根源もビジョンも浮き彫りになっていきます。
具体的に一人の人間に応えるために、自らの志を鮮明にして完全燃焼する。
その熱が激しければ激しいほど、続々と他の方へと連鎖を起こしていきます。
社会が変わるとは、そういうことだと思います。
すべての人たちが志を生きる。
これこそが、新しい国づくりの礎であると信じています。
あるプロレスラーの名言
「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」
1982年10月後楽園ホール。いわずと知れた“噛ませ犬発言”である。
この日の仲間割れは、ある程度マスコミ、ファンが予想していた。長州の凱旋帰国に際して「国際軍団入りか」などの噂があったからだ。しかし、日プロ時代の「アントニオ猪木の馬場挑戦発言」の顛末を云うまでもなく、当時、団体内のレスラーの序列を否定するなどは「長州はヒールに転向か?」という程度の捉え方だった。
「藤波!俺はお前の噛ませ犬じゃないぞ!何で俺がお前の下なんだ。何で俺がお前の前を歩かなきゃいけないんだ。俺とお前とどこが違う。お前はチャンスを与えられただけだ。勝負しろ、勝負してやる、お前をぶっ倒してやる!」
プロレス界をあれほど揺さぶるきっかけになるとは、誰もが想像できなかった。
その後の新日のクーデター・分裂騒動を始め、現在に至る多団体乱立時代は、全てこの時の、長州のたった一人の反乱が出発点であったといえよう。
そして、当時のプロレスファンのみならず、日本中のサラリーマンに圧倒的支持を得た長州力は、革命戦士として道を切り開いて行ったのです。 自分の立場に重ねて大人たちが「ジェラシーに鼓舞する長州力」に共感したんだろうと思います。 そうです大人のファンを取り戻したのです。
更に、長州力がこれまで残してきた数々の代表的な名言を200枚限定でタオルを販売しましたが、あらためて、熱い一文一文にあの頃の情景が蘇ります。

【長州 力】
専修大学時代にレスリングで活躍し、1972年のミュンヘンオリンピックに出場。
翌1973年12月に、アントニオ猪木率いる新日本プロレスへ入門。
1974年8月8日、東京・日大講堂におけるエル・グレコ戦でデビューし、サソリ固めで勝利をおさめる。
デビュー時のリングネームは本名の「吉田光雄」であったが、のちにファン公募により、「長州力」に改名。

メキシコ遠征中に、エル・カネックを破り、UWA世界ヘビー級王座を獲得。そして1982年に帰国後、藤波辰巳(現・辰爾)との抗争劇がスタート。この藤波との一連の闘いは「名勝負数え歌」と称され、数々のベストマッチを生んだ。
1983年に維新軍団を結成し、その後新日本プロレスを退団。1984年12月にジャパン・プロレスを旗揚げし、全日本プロレスに主戦場を移す。
1987年5月、新日本プロレスへ復帰。1989年7月にはIWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座の二冠王者となる。1996年8月には「G1 CLIMAX」初優勝。
1998年1月4日、東京ドームで現役を引退し、以後は新日本プロレスの現場監督として活躍。
しかし、2000年7月30日、大仁田厚との有刺鉄線電流爆破マッチで現役復帰を果たし、勝利をおさめる。

2002年5月、新日本退団。
2003年3月にWJプロレスを旗揚げしたが、翌2004年に活動休止。
2004年11月より、ふたたび新日本へ本格参戦をはたし、2005年10月に新日本の現場監督に復帰。
2006年5月にはリキプロ主催興行「LOCK UP」を始動させる。その後も新日本プロレスを中心に全日本プロレス、リアルジャパンプロレス、DRADITION、DRAGON GATEなど主要団体に精力的に参戦する。

2010年1月より藤波辰爾、初代タイガーマスクらと共に「LEGEND THE PRO-WRESTLING」をスタートさせる。
バックドロップ、リキラリアート、スコーピオンデスロック・・・。
パワーとテッニックが、小さな体を補う。長髪と厚い胸板。右手を高々とあげてから、スクワット、ロックアップと臨戦体制とオーラを身体中からと出す雄姿。長州力の凄みも伝わります。

<写真下の文字に関しまして>
写真の下にプリントされています文言はキューバの革命家チェ・ゲバラの有名な名言です
If it were said of us that we're almost romantics, that we are incorrigible idealists, that we think the impossible: then a thousand and one times we have to answer 'yes we are'.
(和訳)
"もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。「そのとおり」だと。"
革命家は、進んで行く。
私は、前に前に進む。評判や噂など、周囲の目を気にしてばかりいてはいけません。
自分という存在を信じることです。自分自身を一番わかっているのは、誰よりも自分なのだから。
熱血!情熱家!頑張るぞ!
強い心と弛まない努力と仲間がいるから大丈夫です。
1982年10月後楽園ホール。いわずと知れた“噛ませ犬発言”である。
この日の仲間割れは、ある程度マスコミ、ファンが予想していた。長州の凱旋帰国に際して「国際軍団入りか」などの噂があったからだ。しかし、日プロ時代の「アントニオ猪木の馬場挑戦発言」の顛末を云うまでもなく、当時、団体内のレスラーの序列を否定するなどは「長州はヒールに転向か?」という程度の捉え方だった。
「藤波!俺はお前の噛ませ犬じゃないぞ!何で俺がお前の下なんだ。何で俺がお前の前を歩かなきゃいけないんだ。俺とお前とどこが違う。お前はチャンスを与えられただけだ。勝負しろ、勝負してやる、お前をぶっ倒してやる!」
プロレス界をあれほど揺さぶるきっかけになるとは、誰もが想像できなかった。
その後の新日のクーデター・分裂騒動を始め、現在に至る多団体乱立時代は、全てこの時の、長州のたった一人の反乱が出発点であったといえよう。
そして、当時のプロレスファンのみならず、日本中のサラリーマンに圧倒的支持を得た長州力は、革命戦士として道を切り開いて行ったのです。 自分の立場に重ねて大人たちが「ジェラシーに鼓舞する長州力」に共感したんだろうと思います。 そうです大人のファンを取り戻したのです。
更に、長州力がこれまで残してきた数々の代表的な名言を200枚限定でタオルを販売しましたが、あらためて、熱い一文一文にあの頃の情景が蘇ります。

【長州 力】
専修大学時代にレスリングで活躍し、1972年のミュンヘンオリンピックに出場。
翌1973年12月に、アントニオ猪木率いる新日本プロレスへ入門。
1974年8月8日、東京・日大講堂におけるエル・グレコ戦でデビューし、サソリ固めで勝利をおさめる。
デビュー時のリングネームは本名の「吉田光雄」であったが、のちにファン公募により、「長州力」に改名。

メキシコ遠征中に、エル・カネックを破り、UWA世界ヘビー級王座を獲得。そして1982年に帰国後、藤波辰巳(現・辰爾)との抗争劇がスタート。この藤波との一連の闘いは「名勝負数え歌」と称され、数々のベストマッチを生んだ。
1983年に維新軍団を結成し、その後新日本プロレスを退団。1984年12月にジャパン・プロレスを旗揚げし、全日本プロレスに主戦場を移す。
1987年5月、新日本プロレスへ復帰。1989年7月にはIWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座の二冠王者となる。1996年8月には「G1 CLIMAX」初優勝。
1998年1月4日、東京ドームで現役を引退し、以後は新日本プロレスの現場監督として活躍。
しかし、2000年7月30日、大仁田厚との有刺鉄線電流爆破マッチで現役復帰を果たし、勝利をおさめる。

2002年5月、新日本退団。
2003年3月にWJプロレスを旗揚げしたが、翌2004年に活動休止。
2004年11月より、ふたたび新日本へ本格参戦をはたし、2005年10月に新日本の現場監督に復帰。
2006年5月にはリキプロ主催興行「LOCK UP」を始動させる。その後も新日本プロレスを中心に全日本プロレス、リアルジャパンプロレス、DRADITION、DRAGON GATEなど主要団体に精力的に参戦する。

2010年1月より藤波辰爾、初代タイガーマスクらと共に「LEGEND THE PRO-WRESTLING」をスタートさせる。
バックドロップ、リキラリアート、スコーピオンデスロック・・・。
パワーとテッニックが、小さな体を補う。長髪と厚い胸板。右手を高々とあげてから、スクワット、ロックアップと臨戦体制とオーラを身体中からと出す雄姿。長州力の凄みも伝わります。

<写真下の文字に関しまして>
写真の下にプリントされています文言はキューバの革命家チェ・ゲバラの有名な名言です
If it were said of us that we're almost romantics, that we are incorrigible idealists, that we think the impossible: then a thousand and one times we have to answer 'yes we are'.
(和訳)
"もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。「そのとおり」だと。"
革命家は、進んで行く。
私は、前に前に進む。評判や噂など、周囲の目を気にしてばかりいてはいけません。
自分という存在を信じることです。自分自身を一番わかっているのは、誰よりも自分なのだから。
熱血!情熱家!頑張るぞ!
強い心と弛まない努力と仲間がいるから大丈夫です。
Pen(ペン)
新しい視点と美意識で、男たちのデザイン生活を刺激するクオリティマガジンの「Pen(ペン)」を紹介します。本年の8月1日号と昨年の7月15日号は、書くこと「手紙」、「書」を特集しています。
心を伝える手段として、文字で残すことはその時の気持ちをしたためること。
なんと、美しいことだろう。ページをめくると私も手紙が書きたくなった。

eメール、ケータイ全盛の時代。
誰かからの思いがけぬ便りや 異国からの青いエアメールに、心ときめかせることも そうはなくなってしまったようだ。
けれど、思いを伝えたいなら、「本気」を示したいなら、やはり、直筆の 手紙にまさるものはない。
文字をしたためるひと時、 それはすべて 相手だけに捧げた時間であり、自分自身の内面とも向き合う かけがえのない時間です。
心の奥底をさらうようにして 掬い取った言葉を、永遠に残るかたちで 誰かに贈る行為。
詫びもできる、怒りもできる。口説く一方で、絶縁もできる。ときに本心を吐露し、ときに煙にも巻けます。
連ねられた筆致に 喜怒哀楽を躍らせて、自分のことだけで相手の頭を一杯にしてしまう、それはどれほどの 至福を呼ぶ行為であることか。
今回の特集は、 手紙のもたらす悦びを 余すところなく伝える企画。
各界の「手紙名人」が 本誌だけに公開してくれた とっておきの手紙や、歴史上の偉人たちの 真心あふれる手蹟、手紙を仕事上の武器とした 伝説の編集者の 「口説きのテクニック」などに 焦点をあてる。
読めばきっと、 ペンを執りたくなるはずです。
Pen (ペン) 2011年 8/1号

言葉にできない心の揺らめきさえも、豊かに伝える書の魅力。
いまやアートシーンにおいても注目される存在だが、 パソコンの登場はもちろん、万年筆や鉛筆が伝わる以前は、 何かを伝えるための、きわめて日常的なツールだった。
今回の『Pen』は、無限の表現力をもつ書のチカラを 日常に取り戻すための大特集。
約3300年にもおよぶ長い文字の歴史を振り返る一方で、 現代の書の世界を牽引する日・中・韓の若手書家にも注目です。
さらに、難解と思われがちな古典作品を徹底研究し、 どこが、どうして凄いのか?を明らかにする。
また、書を知る上で欠かせない中国の古都・西安へも赴き、 時空を超えた悠久の名書が眠る博物館も取材しています。
書の世界は、決して明快な世界ではない。
しかし、そのディープな魅力に触れれば、 きっと明日から筆を手に取りたくなるはずです。
Pen (ペン) 2010年 7/15号
心を伝える手段として、文字で残すことはその時の気持ちをしたためること。
なんと、美しいことだろう。ページをめくると私も手紙が書きたくなった。

eメール、ケータイ全盛の時代。
誰かからの思いがけぬ便りや 異国からの青いエアメールに、心ときめかせることも そうはなくなってしまったようだ。
けれど、思いを伝えたいなら、「本気」を示したいなら、やはり、直筆の 手紙にまさるものはない。
文字をしたためるひと時、 それはすべて 相手だけに捧げた時間であり、自分自身の内面とも向き合う かけがえのない時間です。
心の奥底をさらうようにして 掬い取った言葉を、永遠に残るかたちで 誰かに贈る行為。
詫びもできる、怒りもできる。口説く一方で、絶縁もできる。ときに本心を吐露し、ときに煙にも巻けます。
連ねられた筆致に 喜怒哀楽を躍らせて、自分のことだけで相手の頭を一杯にしてしまう、それはどれほどの 至福を呼ぶ行為であることか。
今回の特集は、 手紙のもたらす悦びを 余すところなく伝える企画。
各界の「手紙名人」が 本誌だけに公開してくれた とっておきの手紙や、歴史上の偉人たちの 真心あふれる手蹟、手紙を仕事上の武器とした 伝説の編集者の 「口説きのテクニック」などに 焦点をあてる。
読めばきっと、 ペンを執りたくなるはずです。
Pen (ペン) 2011年 8/1号

言葉にできない心の揺らめきさえも、豊かに伝える書の魅力。
いまやアートシーンにおいても注目される存在だが、 パソコンの登場はもちろん、万年筆や鉛筆が伝わる以前は、 何かを伝えるための、きわめて日常的なツールだった。
今回の『Pen』は、無限の表現力をもつ書のチカラを 日常に取り戻すための大特集。
約3300年にもおよぶ長い文字の歴史を振り返る一方で、 現代の書の世界を牽引する日・中・韓の若手書家にも注目です。
さらに、難解と思われがちな古典作品を徹底研究し、 どこが、どうして凄いのか?を明らかにする。
また、書を知る上で欠かせない中国の古都・西安へも赴き、 時空を超えた悠久の名書が眠る博物館も取材しています。
書の世界は、決して明快な世界ではない。
しかし、そのディープな魅力に触れれば、 きっと明日から筆を手に取りたくなるはずです。
Pen (ペン) 2010年 7/15号