いつかは訪れる「その日」。
子どもの頃からその事を少しイメージしては頭の奥の奥へ放り投げてた未来の予定。
昨年末。
僕は 喪主 という自分かやらなくてはいけない重要な役割を務めてきました。
父が癌で逝ったのです。
この半年は「その日」がおとずれても心が持ち堪える事ができるよう、すでに体験している人の話や映画、本を読み、少しずつ免疫を作ってきたつもりでしたが「じいじへ」と書かれた孫達の手紙に囲まれて棺の中で眠っている親父の顔を見たら
それが全く役に立たなかった事に気付きました。
悲しみから逃れようと親父の困った部分を思い出してみたりするのですが。。
今はそれを含めて。
ただ、ただ会いたいです。
よく映画やドラマなどでは、あなたの心の中で生きていると言ったような表現をしますが、今はそれを理解するには程遠いところにいます。
だからとにかく何かに逃れるよう
身体を動かしました。
いつも以上にジムへ行き、出稽古に行き、喪に服すべきでしたが獅子舞をやらせてもらいました。
でもそのおかげで、なんとか内面を保つ事ができました。
もっと、こうすればよかった。
ああすればよかったという後悔の念はウチら家族にも例外なくあります。
亡くなる日、病院に行ったという報を聞いた時点で仕事を早退すればよかった。
抗癌剤は正常な細胞も攻撃してしまうので、もっと慎重に話しあえばよかった。
そもそも最初に倒れた時、もっと大きな病院で検査して診て貰えばよかった。
チキショウ。 チキショウ。
そして
もっと元気なうちに
この言葉を伝えればよかった。
療養中にそれを言うと、
もしかして、自分に残された時間が短いのではないか。
余計な不安とストレスを本人に与えてしまうと思い、口が裂けても言えなかった。
「声は聞こえてますから、呼びかけてください。」
最期、先生に言われた時も、ひと筋の希望を信じ、言う事ができなかった。
だから今は毎日、心の中でそれを伝えてます。
親父。
「 親父の子どもに生まれてきて、そして家族になれて本当によかった。 今まで育ててくれてありがとう。」
親父のいない世界は不慣れで悲しいけれども、
家族を大切に楽しく生きていくよ。
だから、必ず。
また会おう!