こんばんは。シロです。
今日は久々の夏休みだったので、少しブログがかけそうです✨
ずっと書きたかった成長記録を書いていきたいと思います。
一歳まで一気に書きたかったのですが、長すぎたので、ひとまず新生児期だけ。
2020年 まだまだ寒い冬の日
モモちゃん、予定日より11日はやく、2,710g 、48.5cmで誕生🎀
1日目
夜中に生まれて、30分後くらいにだっこさせてもらうも、翌昼まで再会できず私がさみしくなる笑
生まれたてからお目目ぱっちり開いて可愛かったなぁ。
産後ハイで朝まで全く眠れなかったから、もっとだっこしてあげるんだった…寂しくないかな?と早くも後悔して泣いているメンタル不安定なママ。
検診時におまたを縫ったところを消毒するのも苦行でした
午前中おむつ替え指導とかがあった気がするがよく覚えていない。
昼すぎに、入院した部屋にモモちゃんを連れてきて、夫と母父と一緒に対面。
基本ずっと眠っているが、途中少し起きてぐずりかけて、あわわわわどうしたらよいんだ?💦と慌てる戦闘力ゼロ夫婦(今思うと笑える)
まだ泣き声小さくて可愛かったなぁ。
2日目
授乳指導。はじめて一生懸命母乳を飲んでくれる姿が可愛いくて感動してしまう。
まだ殆ど母乳は出ず。
ミルクはE赤ちゃん
おむつはメリーズ
森永の方の説明会もあった。
お祝い御前はとても豪華でした✨
職場のお世話になってる方(ベビーベッドをくださった方)が来てくださる。(コロナギリギリ前だった)
可愛い袴のロンパースをいただきました💕
ありがとうございます。
3日目
沐浴指導。
母子同室。
臍の緒がとれる。
ゲップのさせ方に悩み、指導していただく。
3時間おきにアラームつけて、時間の15分前からミルク等の準備していました。
4日目
退院指導。
沐浴もう一回やらせていただく。
心配事ばかり。
5日目
退院。
退院前に心配事を沢山看護師さんにきけて良かった。
病院から出た瞬間晴れ間がみえて、パパに似て晴れ女なんだなと思う。
父母が送ってくれたが、お昼ご飯の準備(買い出し)や諸々で結構疲れた…
…何故産後5日目の私が両親の食事の準備をしているのか…
6日目
手をあむあむしている。可愛い。
なんだか全てが可愛いよね。
自分の胸がカチカチに硬くなり、乳腺炎一歩手前になる。
7日目
お七夜、命名。
以前書いたとおり、夢のお告げの名前をそのまま採用しました。
この日から、義父の体調が思わしくなく、夫が実家に帰る。
義母も認知症がはじまってしまっているため、夫は実家に泊まることが多く少し心細い…
里帰りなし。(全く希望しなかった)
夫の繁忙期➕実家帰省のため、新生児期はほぼワンオペでした。
料理は出産後30日位まではあまりしなかったけど、洗濯はしていた。(10ヶ月頃からはずっと夫がやってくれている。洗濯大好き男子だったらしい)
また義理父の入院等があり、夫は実家に帰ることが多く心細い日々。
この頃は身体の回復までが辛かったです。
頭痛、腱鞘炎、会陰切開の傷、足の重たい痛み等…
特に頭痛が酷すぎて、生後1ヶ月すぎにパパに一回だけ夜勤してもらいました。
(その後、夜泣きが落ち着く2歳過ぎまで夜勤は3回ほどしかお願いできなかった)
生後6日目に胸が張りすぎてカチカチに固まった時も本気で焦りました。
手動の搾乳機で絞り出してラクになったので、搾乳機があって本当に良かったです。
でも、新生児期が大変なのは当たり前でしょ!
悪阻に比べたら全然余裕!大丈夫!私がんばれるし、ひとりでできるもん!
って感じでなんだかおかしいテンションであっという間に生後1ヶ月を迎えていました。
母乳とミルクの割合は6対4ぐらい。
体重も順調に1キロ増えました。
【心配事】
1ヶ月検診等で沢山質問しました。
・吐き戻しが多い(毎回すごく吐く)
→順調に体重増えているし大丈夫。ミルクの量を調整してみて。
→結果、4ヶ月頃おちつく。
それまでは、シーツの上に沢山バスタオル敷いてバスタオルだけ洗えば済むようにしていました。
・おしりかぶれが酷い
→おしりふきでこすりすぎるとよくない。
おしりシャワーを試してみて。
→家ではおしりふきは基本使わず、おしりシャワーとベビーコットンで拭いています。
タッパーに水を入れて、コットンを湿らせて拭き取り、最後にティッシュで押さえておしりを乾かす。
おしりがまだ乾かない状態でおむつつけてしまうと、かぶれてしまうので、しっかり乾かすことが大事と学びました。
・めやに
→目薬もらいましたが、何もしなくてもじきに良くなりました。
・しゃっくり多い
→じきに落ち着きました。
・呼吸荒い、のけぞってあまり飲めない
→鼻が詰まっていないか?💩したくて苦しんでいないか?機嫌良くてミルク飲めていればok
あれだけ心配していた悩みは、時期がくればピタリと収まったから、赤ちゃんって不思議です。
マタニティブルー?
おしりかぶれが酷くなった際は、こんなに赤いおしりにしてしまうなんて可哀想。自分は母親失格だ…と無性に落ち込んで泣きました。
また、私は里帰りをしなかったのですが(一瞬たりとも考えなかったが、周りは殆どの方がしていた)
母が2日位、手伝いにきてくれました。
しかし殆ど母の話し相手で全然休めず…
私が産後数日で洗濯物を干しているのを特に手伝ってくれるでもなく、何かをしてくれるでもなく、只管テレビを見て話しかけてくる母…
夫は激務➕帰省しているから常に不在…
無事生まれて安心したのか、退院直後から、母は従来の毒親っぷり(いつかちゃんと書けたら書きたいです)を果敢なく発揮し…
私が限界になり、2日きてくれたから2万円を渡して帰ってもらいました(足りないといわれたぜ?!)
その日も夫が自身の実家に泊まっていたから側にいませんでしたが、ポロポロ涙が出て止まりませんでした。
その後コロナ禍もあり、生後100日過ぎまで一切会いませんでした。連絡も全て無視していました。
当時の私にとって、この選択は本当によかったです。
私は幼少期からずっと実家にいるのがしんどくて小学生の頃からずっと家を出たかったので、
大学で一人暮らしををしてから15年近く殆ど実家に帰っていないです。
(お墓参りには行っています)
1歳5ヶ月まで、自分の地元にすらモモちゃんを連れていきませんでした。
自分には生まれつきの病気があったし、母とは相容れない性質だったから、母も大変だったと思うのですが、
(嫁姑問題とか激しい更年期とか父の借金問題もあったし)
「産むんじゃなかった」
「あなたがうまれた時がっかりした。悲しかった」
と言われたことが数え切れない位あるので…
いまだに自分に自信が持てないです。
自分に自信を持つ方法をずっと模索しつづける人生だった気がします。
あはは、今もだわ…😂根本的に自信がない。
(職場では明るいってよく言われるんですけどね…基本猫かぶりのいい子ちゃんキャラです)
愛されて育った気は全然していないから、ずっと自信がないし、いい子ちゃんでいないと居てはいけないと思っていたので…ずっと苦しかったです。
ただ、大学を機に実家を出てから、だいぶ自由を感じて生きれるようにはなったし、
家庭環境のおかげで自立心がかなり強くなったことは感謝しています。
(強すぎて人に頼れない可愛げのない女でしたよ私は😱)
奨学金(ありがたいことに、民間&学内の二つの給付型のものを年間72万程いただけた)とバイト代だけで学費と生活費を賄う生活は大変でしたが、とても楽しい大学生活でした。
早稲田大学は奨学金が充実しているから好きです。
自信のなさ故に彼氏に依存していた痛い過去もありましたが…笑
(彼の母親にうちの家庭環境を理由に結婚を反対されたけれど、結果それで良かったと今は思う)
自尊感情の低さは、生きることのしんどさにかなりつながると実感しているので、
自分の子どもには自尊感情の高い人になって欲しいと心から思っています。
そして、困った時はちゃんと周りに頼れる人にもなって欲しいです。(ここ、一番大事)
まだ読み終わっていないけど、非認知能力の本を読んでいます。
モモちゃんが「生きるのは楽しいことだなあ。私は何があっても大丈夫なんだ✨」
と思える人に育ってくれたら何よりだなと思います。
そのために親としてできることはできる限りしていきたいです。
また長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました🍀