昨日の日刊スポーツの社会面に
地震雲の写真がカラーで出ていた。

夕焼けを背景に細い竜巻状の雲が
下から上に伸びている。

そんな写真です。

その雲は俺もたまたま実際に見ていた。

一瞬、東スポか?と紙面を見直したが、
紛れもない日刊スポーツでした。


そして、今朝、
2度目のスマトラ沖地震が起きた。

日本で見られた地震雲とスマトラ沖地震の
関連はほとんどないと思うけど、
最近、地震が頻発している。


不謹慎ながら、
地球も生き物やねんなぁ、
と思っていた。

人間には血液が流れているけど、
地球の中ではマグマが巡ってる。


地震雲って
まだまだ科学的には解明されてはないけど、
一般生活の中で、しかも自力で地震を予測できる一つの指標として
市民権を得てきている。


その他にも、地震予測としては
串田さんのVHF電波での予測
http://epio.jpinfo.ne.jp/

行徳高校なんて高校で地震予測を行っている
http://www.asahi-net.or.jp/~xr2t-fksm/sizen/zisin/zisin_main.html


これらは地震前の電磁波や電波の異常を
いくつか捕らえている実績もあり、
その予測方法は注目されているようです。

その他にも、前のスマトラ沖地震では
普段はおとなしい観光用の象が
いきなり観光客を乗せたまま高台に走り出して
観光客ともども津波から助けた、なんてものもある。

それとは逆に、国が行っていた地震予測では、
今回日本で起きた新潟、福岡は
地震が起きる可能性の低い地域と言われていた。


つまり、地震はまだまだ予測できないもののようです。

しかし、予測できたところで、
地震の被害からは逃れることは困難なように思う。


雨は傘を差せば雨はしのげる。
暑さ寒さはエアコンで回避可能。
台風は予報からその準備を備えることができる。

自分たちの身近なものの中で、
今のところ地震だけが、
予測ができない、人の力ではどうにもならない
自然の驚異かもしれないです。
今日の帰り道、電車待ちのホームにて、
座禅を組んでいる外国人を発見した。

久しぶりに、
志村けん並みの二度見をしてしまう。


横にはリュックサック、
格好はジーンズをはいたバックパッカーの装い。


瞑想とまではないかないが、
手は、組んだ足の上で重ねられていた。


サラリーマンが行き交うホームの中で
座禅を組む外国人。


とても、
とてもシュールな光景でした。

久しぶりに舞い上がった。


まぁ、数時間後には現実に戻ったんですけどね。

それも、色恋沙汰ではないのが
チト寂しい。


それにしても、舞い上がるっていうのは
いいですね。

世界がパーッと開ける。


でもね。
久しぶりに舞い上がって、
気づいた点があったんです。


舞い上がる感覚には、不安もある。


ということが。


考えてみれば、舞い上がるときには
その結論がだいたい出ていない。


例えば、

片思いの人が、自分に向かって笑ってくれた

とか

もしかしたら、仕事で大きな案件が決まるかもしれない

とか。


まだまだ不安定ながらも、
その可能性が大きくなって、
期待いっぱい胸いっぱい。

でも、それが成就するか成就しないかは
舞い上がっている段階ではまだわからない。

そして、そういう時っていうのは、
それが成就するかどうかは自分ではなく、
第三者の意思にかかっている場合が多いです。


舞い上がっている状態が歓喜となるか
それとも、
奈落の底に落とされるか
それは人の決断に寄るところがある。


そんなこともひっくるめて、

他人への期待に、自分の期待も寄り添って
舞い上がっているという状態となっていのかもしれないですね。


だから不安も付きまとう。


ただ単に
舞い上がって失敗した経験が多いからかな。

とか思いつつ、
俺も大人の階段を上っちゃっているのでしょうか。


時には何も考えず、
盲目的にウキャーと
どこまでも舞い上がりいたいですねー。


サルもおだてりゃ木に登る
日差しはポカポカ。
でも、まだ風は冷たいです。

外でボケッと日向ぼっこは
もう少し先ですかね。

今年の桜は4月中旬くらいになるとか。

ちょっと今年は遅いのかな?
とか思いながら桜の木を見上げていた。


梅も散り、桜はまだ咲かず。
ちょうど春の花の中休み。


桜といえば、
やっぱり俺は京都を思い出します。

特に円山公園、
その近辺の桜は格別です。


そこは風情のある高級料亭が軒を連ね、
繁華街の喧騒とはまた違い、
人は行き来はあるけど、雰囲気が落着いている。

その雰囲気で
人が話す声も自然と柔らかくなる。

落ち着きの好循環がその辺りには漂っています。


そこには小さな石橋が架かり、
石垣に囲まれた小川が流れている。

その川沿いに枝垂桜が植えられ
その枝が小川に垂れかかる

石橋から川を眺めると
川に沿った桜のアーチを眺めることが
できます。

街並みが桜によって映え
桜が街並みに酔って映えている。


夜には桜がライトアップされて、
とても神秘的な光景。


これぞ京都。


そんな雰囲気がそこにはあります。

あぁー、また行きたい。

いやぁ~、久しぶりに日本代表の試合を見た。

きょう勝てばほぼW杯出場が見えたらしいけど、
負けちまいましたね。。。

惜しい!

次に期待しましょう。



でも、アザディ・スタジアムの観客12万人ってすごいな。
日本人サポータの中には女性もいたんやろうけど、
イランのほうは全員男やし。

試合が始まる前にコーランを合唱するところなんざぁ、
さすがイスラム教圏。

かなり独特の雰囲気です。
会場で生の雰囲気を味わってみたい。


日本人サポータは、
一角だけに集まって応援してました。

12万人のうちの、
目測おおよそ200人くらい?

その少ないながらも熱い応援をおくるサポータを見て
がんばれタブチ君の私設応援団を思い出したりしていました。


このイラン戦に関して、
日本国大使館では、観戦の注意点として1ページ授けてます。
地球の歩き方並みにけっこう危険を煽ってた。



その中のいくつかを見てみると。


警備上の注意
○2階席の警備員が厳重に取り締まっていても、
1階席にある日本人専用席に物が落ちてくる可能性があります。


ヘルメット持参?


観戦時の注意
○イラン代表チームの好プレーにも拍手を送るなど、
友好的な雰囲気を作り出す応援を心がけて頂ければ幸いです。


幸いです。幸いです。。幸いです。。。?


観戦時の注意
○スタジアムには、イラン式トイレ(和式トイレに類似したもので、
紙を使わないもの)しか整備されていません。


紙を使わないで何を使うのか知りたいです。手?
トイレするにも一苦労。



そのほか、イスラム教圏独特の注意事項多数。

<参考>
サッカー・ワールドカップ予選を観戦される方へ
(在イラン日本国大使館)


イランへ観戦に行く際は是非参考にしてください。


でも、まぁ、
バックパッカーをしていた奴の話を聞くと、
イスラム教圏の人が一番親切やった
とか言ってたけどねぇ。

中東ではイロイロと起こってはいますがね。


とにかく注意することに越したことはない。
郷に入れば郷に従え。

観戦よりも、
行き帰りの方が大変そうですが・・・

サポータの皆さん、選手の皆さん
イスラム経の戒律を守りつつ
無事にご帰国を。
近頃、眠気がスッキリとれない。
春眠暁をおぼえずを地でいったりしています。

そんなこんなで、お昼過ぎ
しばらくボーっと、
窓から雲を眺めたりしていた。

モワモワとした大きな雲が
右から左ズンズン進んでいく。
雲の流れが今日は速かった。

見ていて飽きない。


俺はむかし、
雲の上に乗れることが常識
だと思っていた。

ドラえもんでも雲の上を歩いていたし、
そもそも、雲は形があって見えているのに
触れられない、触れない、
ということがよく理解できなかった。



雲には乗れない

あるときそう聞かされて、

えっ!?
と驚いた記憶が今でも残っている。

それだけ衝撃的だったのかもしれない。


小学校に入って理科なんてものを
習いだしたりすると

雲は水蒸気の塊

などと、知識としてその存在を
理解するようにはなってはくる。


しかし、

ゲームにしてもスーパーマリオでは
雲に乗ることもあったし、
漫画にしてもそういう描写は
よく見たりする。

そういった人の想像は
いつまでたってもなくなることはない。


そう考えると、
雲に乗れるというのは
多くの人が持っている共通した
ひとつの感覚かもしれない。

20歳を過ぎて、
雲に乗れるなどと真顔で言ったりすると、

お前あたま大丈夫?

とか言われたりすると思うけど、
どれだけの人が実感を持って
そう言っているのかは疑わしい。


むしろ、
雲に乗れる
と思ったほうが、
人にとってはシックリくる感覚なのかもしれない。


まぁ、本当に雲が乗れる存在だったら
飛行機の雲への衝突事故
なんてものが、ニュースで流れたり
するんやろうけどね。

でも、雲への衝突の心配がない地上では、
そういった知識はちょっと横に置いておいても
いいんじゃないか?と思ったわけです。

そっちのほうが、雲を自由に見てられるし、
楽しめる。


暖かい日も多くなってきて、
満員電車に乗っていると冷ための風が
頭の上から吹き付けるようになってきました。


しかし、
電車の中の空気って、なんかドンヨリしていて
気持ちのイイものではない。

特に冬の暖房はちょっと気分が悪くなる。


そもそも寒風の外に出る為、
服を着込んでいるのに暖房をバンバン効かせる
って言うのはいかがなもんでしょ?

まぁ、空いているときは良いとして、
満員電車では、おしくらまんじゅう状態。

そこに暖房はいらんやろ!

と俺なんかは思ってしまうわけですね。


特に電車の暖房の空気は
なにかドヨーンとしていて気持ちが悪い。

フィルターをあまり掃除していない
ってなことも聞いたことがある。

窓も締め切っているし、空気悪すぎる!

たぶん空気が循環していないんだと思う。


これから、春が過ぎ、夏に向かい
電車の車内環境がどんどん悪くなってくる。


なので、
俺は電車に新鮮な空気を求めます!


暖かい空気は上の方に貯まるので、
それを逃がしてやるだけでもいい。

とりあえず、換気扇はつけて欲しい。


そして、

ゆくゆくは天井を取っ払ってしまって、
オープンカーならぬオープントレイン

なーんてものを作ってもらえると
なおベスト!

雨の日は?
幌をかぶせて下さい


換気扇だけでも電車の快適度はだいぶ
違ってくると思うんよねぇ。

俺はけっこう暑がりだったりするので、
こう思うのは少数派だったりするのかな。


とにかく

電車の中の空気はできるだけ入れ替えて
少しでも新鮮な空気を電車の中に取り入れて欲しいです。


ビバ!換気♪

会社の窓からは
六本木ヒルズの森タワーが
ズドーン!と見える。

西日の強い日は、
森タワーに日差しが反射して
西日がモロに差し込んでくる。

ちょっと嫌がらせに近い。


しかし、

建物の安定感といい、
見た目の重量感といい、
森タワーを見て、俺は確信してしまう。

こいつはロボットに変身する!


と。


ずぅーっと前、
俺が幼稚園ぐらいのときに流行った
ゴールドライタンみたいに。

http://tamuncho.hp.infoseek.co.jp/radicon/pra/gold.jpg
俺のイメージは左から2番目の丸っぽいヤツ。


なにかの拍子に動き出しても、

あぁ~やっぱりなのね。

変に納得してしまいそうで、
その納得感がまた怖い。
交通が発達して、地球は狭くなった
交通が発達して、地球は広くなった



このフレーズを思い出すとき、
どっちやったっけ?
といつも迷ってしまう。

迷う原因はたぶん
何を基準に持ってくるかで、
それは変わるからだと思う。


交通が発達して、地球は狭くなった
といわれる場合、それは時間を基準にしている。


交通が発達して、地球は広くなった。
といわれる場合、それは人を基準にしている。


たぶんね。


そして、よく耳にするのは
交通が発達して、地球は狭くなった
の方だと思う。


新幹線が通る。高速道路が作られる。
技術が進む。

ニュースでは
新幹線が開通されました。
東京から90分かかっていたところが
60分になりました。



不動産屋では
都心まで20分!


旅行会社では
遠くの日本より、近くのグァム
というCMが流れていたときもあった。


目的を持った場所を思うとき、
人はそこまでの時間を考える

距離ではなく時間を考える。



遠いと近い。

これも
時間がかかる、かからない

と言いかえることができるんじゃないでしょうか。


例えば、東京から広島に行くのと
東京から和歌山に行くのを比べた場合、
新幹線で一気にいける広島へ行く方が早かったりする。

距離的には広島のほうが遠いのだけど、
しかしこの場合、和歌山よりも広島のほうが近い
という言い方もできる。


そこで、一つ思い出した。

長友啓典により手がけられた新しいデザインの日本地図。
尺度を“距離”ではなく“時間”にするという発想によって描かれた地図。





そう考えると人は時間に縛られている。

まぁ、個人にとって時間は無限ではない。
120歳まで生きる人もいるけど、
平均寿命としては80歳になるのかな。

とにかく、ケツは決まっている。

だから人が時間に縛られるのは
当たり前といっちゃ、当たり前かもしれない。


もし、人に寿命がなければ、
時間に対する考え方、
そして、距離に対する考え方も
変わってくるかもね。


寿命がなかったら、
近い距離をできるだけ時間を掛けていくことに
価値が出てくるかもしれない。

時間は無限にあり、
急ぐ必要はないのだから。


というわけで。

たまには、自分から時間の縛りをとって、

交通が発達して、地球は広くなった

と意図的に言ってみたりすると、
またなにか違った感じ方ができるかもしれないですね。

いま、俺の居所は淡路島。

おばあちゃんの7回忌で来ている。

しかし淡路島では、現在、
市町村合併で議論が交わされている。

昔からの市という地域を愛する誇り、
一方、淡路島を発展させる為、
合併を求める奮起の意気込み。

どちらも淡路島を愛する気持ちに変わりはない。
しかし互いの気持ちがぶつかり会う。

親戚同士の平和な議論、と言ってしまえば終わりだが、
小も大も変わらない。
世界規模になると、
イスラム教とアメリカ率いる資本主義。

互いの言い分が分かる部分があるだけに、その解決が難しい。