役者、声優のせりふのトレーニングは、応用です。発音、滑舌など、調音面での応用であり、また、声量、音色など発声面からのヴォイストレーニングの応用の部分にあたります。
お笑いの人達はまねから入っていきます。いろんな役柄をやらなければいけません。異性や年齢の違う人、子供の役までします。
すると、他の人の声をよく聞くようになり、聞いた感覚でイメージをつくり、自分の声を操作して出すようになるのです。
歌い手よりお笑い芸人の客のほうが、厳しいです。
歌い手のお客さんは、なんでも受けつけます。声までチェックしていません。
お笑いの方が、結果として、求められる基準が明確で厳格になっているのです。
お笑いの人達をみてきました、彼らは現場をもっているので、現場で直すほうが早いです。
お客さんとのなかで、身体が入っていなかったり、声が動いていなければ、客は、受けつけません。
英語以外に、イタリア語やドイツ語を学んでいくと、発音の聞き分けや言い分けから、耳もできるし、声の調整能力もつけることができます。ヴォイストレーニングは、そういう部分が共通します。
英語の発声について、一緒に研究していた松澤先生は、「Sといって10メートル先に聞こえなければSではない。」といっています。
身体をつくるとはそういうことです。
できる人にはできるが、できない人はできません。わかる人にしかわからないことです。
一度、日本という環境をはずしてみると、別の感覚で、声が楽に出たり、ひびいたり深くなったりすることもあります。
外国人の方が日本人に比べて、息を強く使っています。
日本人は、息を聞いていないし強く吐くことをやっていません。
声の力は、言語の違いと相まっているのです。
読むことで、その人の読みのよしあしはわかります。
しかし、声のよしあしは、ある程度、やっている人でも、わかりにくいものです。
日本語で読んで、意味内容は、相手に伝わっているからです。
発音なら正誤はわかります。声というのは、間違っている、正しくないとは言えません。深めるしかないのです。
感覚、気づきの問題では、より音声に鋭い感覚かつしぜんに伴うものを使った方がよいのです。
最初に、発声練習で使うのをお勧めするのは、イタリア語です。
その方が、日本語よりも深く共鳴しやすいからです。
母音が26個ある国の人は、母音が5つの国の人とは、認識力が違います、
そういう感覚を、私たち日本人には、なかなか、わからないわけです。
日本語では、認識する音数が少ないからです。わからなくても、適当に使っていたりもします。
まねすることはできるが、認識のところでは把握していないので、厳密には使えていないわけです。