イタリア人がオペラを歌ったり、アメリカ人がミュージカルをやると、セリフから自然に歌に入ります。なのに、日本人では、突拍子もないような飛躍感での違和感があります。
第一に言語のリズム、第二に声が変わるからです。
イタリア人がオペラを歌ったり、アメリカ人がミュージカルをやると、セリフから自然に歌に入ります。なのに、日本人では、突拍子もないような飛躍感での違和感があります。
第一に言語のリズム、第二に声が変わるからです。
サラ・ヴォーンの歌唱を、音程やリズムのトレーニング兼ねて、使います。そこで、感覚に構成や組み立て、展開などが聞こえてくるかどうか、です。それは耳ができてこないと難しいし、私たちトレーナーが正解を知っているわけではないのです。結果として、そうしたアーティストの力で、あなたの中から、こちらが驚くもの、あなたにしかできないと思うものが出てくるまで待つのです。
ポップスはそんなことはありません。声域ということさえ考えないで、ある程度までできます。その辺は当人の価値観にもよります。歌い方に関しても、他の人がやらない、できないのが一番いいと思っています。
クラシックでオペラをやっていこうという人だと、向こうの世界から決まっていくものがあります。この役割で、こんな輝きを期待されているなど。
テノールの音域でバスの声質だというような人は不利になるでしょう。
一般的には、今出しやすい声が、将来的にもベースの声になっていく可能性は高いです。
しかし、場合によっては今、使いにくい声や使えないような声の方が、将来武器になったり、その人の個性になる場合もあります。そこは簡単に判断できません。
今、自分が持っている声の中で比較的、使いやすい声、理想的にでている声はなんでしょうか。
例えば今日レコーディングしなければいけないといったときに、この声でやってくださいとか、ここはこうやりましょうというのがあります。ただそれが将来的にも一番いいかどうかは、別です。
できることは、その人の声を自由にしていく、より柔軟に、高度な要求に対応できるような身体や感覚にしていく、その手法として声楽やヴォイストレーニングを使っています。
迷うときは、そう考えるとよいです。
こうした伝統音楽のうち、女性のなめらかな発声の基本は、声楽のトレーナーが担当するのが、よいようです。
声楽の発声で身体、喉、発声、呼吸、共鳴を学ぶと、共通して使えるところが多いからです。
名人のサンプルを集めて聞いています。
新しい人が来られて、エスニックや邦楽の歌唱家が多くなっています。
エスニックや邦楽では、師匠の見本に合わせられないと、どうすればよいのかわからなくなります。偉い人間国宝のような人は、何も言ってくれず、どうしようもないからここに来た人もいます。
聞いた音声をイメージして、そのイメージに対して発声器官を調整します。これは、語学学習とも結びついています。役者や声優も、イタリア語でしっかり読んでみたら数ヶ月で声が変わるはずです。イタリアで原語で生活して帰ってきたら、声が通ったり深くなったりしているはずです。