母語での判断☆「伝えた・伝えてない」という実感が、声よりも大切な部分があって、それを見るためには、日本人で生活のなかで日本語しか使ってきていないなら、日本語でないと無理でしょう。 声としての判断なら、外国語もよいかもしれません。2つの面があります。