理詰めの無用トレーナーのレッスンの一言一言、あるいは、セッティング全てに説明を求めたり、その理由、選択を問う人が、これまでにもいました。 本人にそれなりの実力、声があれば、それでよいと思うのです。しかし、そういう人ほど説明を求めることはなく、まず自らを無として対応してしまうものです。 我流でやっているうちは三流です。真にやる人は同じトレーナーからいかに本人が深く学ぶかの勝負として、セッティングするのです。