今は、自分にとって一番武器になるところだけを取り出せるように目指せば、
あとは音響技術でカバーできます。
コラヴォレーションして、苦手なところは、
どんどんとプロに助けてもらえればいいのです。
今は、自分にとって一番武器になるところだけを取り出せるように目指せば、
あとは音響技術でカバーできます。
コラヴォレーションして、苦手なところは、
どんどんとプロに助けてもらえればいいのです。
本来は、感覚の鋭さ、それに自分の声をどう伴わせて扱うかが、一番、大切でしょう。
そのトレーニングの段階では、バックグラウンドをどう入れていくかの方が、
表面的に声がどれがいいとか、高い音、大きな声がでることなどよりも大切です。
ともかく、新しいことを思いっきり、やればいいと思うのです。
私は、そこに自分の価値観をいれようとは思わないです。
声さえきっちりできていたら、それを好きに使ってもらえればいいのです。
それだけで表現も作品も大きく変わるからです。シンプルに、パワフルに。
舞台では、なぜオリジナルにやらないのかと思うことが多いです。
現実では、客の受けに甘えがちです。
現場をみれば、お客さんが保守的で似たようなものや昔風なものを欲しているから、やむをえないのでしょう。なによりも、それを裏切ってリスクをとり、成り立たせようとする人が、少ないのです。
演出サイドの人や出演者は、全体の舞台で見ています。
私は、トレーナーとして招かれるので、まずは音声だけで見ます。
しかも将来と結びつけて判断しますから、そこで違いが出ます。
でも、求められるのは、現時点なので、そこでできることで実践します。
処方は、今を見るのか、今後を見るのかで違うのです。
よりよくすることができるのにしていないケース、
それは別のことを優先させられている場合が多いので、仕方がないこともあります。
ただし、少なくとも、自分がいろんなものをみるときに、
もしこうだったらもっとよくなるはずだ、
こうではないはずだ、ということは、突き詰めておきましょう。
自分の作品を作るときの深化になります。
まわりの人が、どう言っても、もっとも深いところでつくりあげましょう。
自分の思う正解があるかといえば、そういうところは確かにあるでしょう。
ただし、どのレベルかです。
それが低いのなら、投げ出すことです。
レベルをあげるために優れたものに学ぶことです。
どうも、いまだに向こうに合わせるのが、正解になってしまっています。
客が望むものにプレーヤーが妥協するのでしょう。超えようとしません。
自分の感覚で判断する力で、最高を求めないなら、成立しません。
まず自分のものをちゃんとつくることです。
その必要性を感じないと、
いつまでも、こなすことだけでは、独自のものは、できていかないのです。
クラシックでオーケストラがつく場合、原調は、はずせません。お客さんも、歌手のキーに合っていなくても高すぎる、低すぎる、といえないのです。
ただし、それ以外では、変えられます。歌い手に合わせ、変えるのが、当然です。
向こうでは、そのテンポが普通でも、嫌なら変えればいいのです。
たとえば、ミュージカルの「エヴィータ」で比べてみます。
劇団四季のでは、映画版のマドンナ、バンデラスのよりも、半音高いです。
ミュージカル役者のベストの表現をリアルより、歌唱技術に頼ろうとするからです。
歌唱の表現力を優先するなら、一人しか歌わないときは、そのキーに合わせて変えればいいのです。演技での見せ、舞台中心に考えると、安易に向こうのものに合わせようとしてしまうものです。