ありえないイマジネーション ~「誤創造は実在しない」 | おこめん家(ち) ~ままよてんぽのかわ~

おこめん家(ち) ~ままよてんぽのかわ~

「てんぽのかわ」は風に吹かれる草のことらしいです
飛ばされるしかないのね…草だし

「米(こめ)」の家(ブログ)に、ようこそお越しくださいました

縁側でお茶でもいかがでしょう?

心はひとつの存在
 
もしそうなら、私がたとえ個人的に(自分の心のなかだけでも誰かを攻撃すれば、それは自分に戻ってきてしまいます。
 
しかし、自分に戻ってくるだけではないかもしれない。
 
もし心がひとつの存在なら…
 
それ、列車内でクサヤと納豆と餃子とキムチの弁当食べるようなもんじゃないですか?
 滝汗どんな弁当だよそれ
 
ひとつの心は、みんな一緒に乗り合わせている車両みたいなもの。
そこに強烈なニオイぷんぷんじゃ、ほかの人にも迷惑でしょ。
 
そう。迷惑
悪いことだよね…?
 
 
この考えから、ある種の恐れが生じます。
それが「罪の意識」。罪悪感
 
他の人の迷惑。
それは悪いこと。罪だ
 

これって、なんだか妙に得体のしれない説得力がありますよね。

 

「自分は孤立し分離した存在」

「自分の心は自分だけのもの」

 

そんなふうに信じていたら、なおさらでしょう。

 

ACIMによれば、私たちの心はこの「分離/罪/罪悪感」でがんじがらめになっています。

でもそれは、(ACIMが言う)「自我」という心の部分が作り出した妄想なのです。

 
この状態から私たちが自力で脱出する方法はない。
 
それがACIMの見解です。
 
ガーン
そ、そんな…
 
まあ待ってください。
続きがあります。

 

    
実は、確実にそこから抜け出せる道がある
その道を知っている存在に、
道案内を任せなさい

 

 
これもまたACIMからのメッセージです。
 
スライム
 

考えてもみてください。

 

本当に心がひとつの存在であり、そこに属するものもひとつの存在だとしたら…

 

そもそもひとつのものが、互いに傷つけ合うことなど可能なのでしょうか?

 

コップの水が、コップの中で互いに血みどろの争いを繰り広げるなんて…

想像できますか?

 

ええ、そうです。

私たちは、それを想像してきたのです。

ひとつの存在のなかで部分が分裂し、互いに葛藤する矛盾を信じてきたのです。

 

そして、それが現実だと信じてまったく疑っていません。

 

けれど一周まわって、心がひとつの存在であることが、真の解決を示してくれるでしょう。

 

こうした誤りのすべてに意味はない。

心が誤って創造したものは、現実には存在しないからである。

 

None of these errors is meaningful, because the miscreations of the mind do not really exist.

 

テキスト2章Ⅴ1

日本語訳は筆者

 

 
 
ひとつの存在が分裂した挙句、互いに争い合うー
こうした「空想」「妄想」を、上の引用文では「心が誤って創造したもの誤創造」と表現しています。
 
けれど、そうした誤創造は実在していない。

 

 本来ひとつの存在であるものが分裂するのは、そもそも不可能

 

 
ACIMに言わせるなら、これが真実なのです。
 
 
 
 

しかし、私たちは幻想に囚われています。

コップの中の水が互いに争うのを現実だと信じ切っている

 

その私たちに、

 

「あなたの誤創造は存在しない。だからそれはなんの害ももたらさない」

 

ただそう言ってみても、単純に「安心」するだけかもしれません。

で、これまで通りに誤創造を続けちゃう…。

 

 

爆  笑ルンルン

私の怒りや攻撃には、なんの害もなかったんだね。

じゃ、ムカついても大丈夫なんだね。

よかったぁ♪

 

 

 にっこりガーン

 なまあたたかいほほえみ

 

 

私たちは自分の悪意に自己防衛の力があると信じています。

自分の誤創造が、他者の誤創造の攻撃から守ってくれる。

そう信じている。

 

そのため、生半可なことでは「誤創造」(自分の心のなかで攻撃する)をやめようとはしません。

 
文字にしてみるとさすがに破綻したロジック…奇妙な話に思えます。
でも私たち、は大まじめにこれを信じているのです。
 
 
え?内部で分裂してる?
いや、それなんだわ
じゃないんだわ
 
 
このような状態の私たちに「真実」を言ってきかせるだけでは、あまり効果がないかもしれません。
 
ACIMはそんな私たちに、即効性のある「治療法」を用意しています。
それが、
 

 

道を知っている賢明な存在に、
道案内を任せる。

 

 
はいはい、こっちですよー!
 
 
賢明な存在に案内を任せる。
それは「聖霊に導きを委ねる」などと表現されます。
 
ACIMには、これに関する具体的な方法や祈りがいくつも紹介されています。
 
アタマに血がのぼって、怒りをぶつけてしまったようなとき。
(他者攻撃)
 ムキー爆弾むかっ
 
妬みや後悔の念から、どうしても離れられないと感じるとき。
(自己攻撃)
ショボーン汗もやもや
 
こうした「攻撃」は、実はどれも同じです。
同じ方法で癒すことができる。
 
次回は、そんな方法のひとつを紹介したいと思います。