これって、なんだか妙に得体のしれない説得力がありますよね。
「自分は孤立し分離した存在」
「自分の心は自分だけのもの」
そんなふうに信じていたら、なおさらでしょう。
ACIMによれば、私たちの心はこの「分離/罪/罪悪感」でがんじがらめになっています。
でもそれは、(ACIMが言う)「自我」という心の部分が作り出した妄想なのです。
考えてもみてください。
本当に心がひとつの存在であり、そこに属するものもひとつの存在だとしたら…
そもそもひとつのものが、互いに傷つけ合うことなど可能なのでしょうか?
コップの水が、コップの中で互いに血みどろの争いを繰り広げるなんて…
想像できますか?
ええ、そうです。
私たちは、それを想像してきたのです。
ひとつの存在のなかで部分が分裂し、互いに葛藤する矛盾を信じてきたのです。
そして、それが現実だと信じてまったく疑っていません。
けれど一周まわって、心がひとつの存在であることが、真の解決を示してくれるでしょう。
こうした誤りのすべてに意味はない。
心が誤って創造したものは、現実には存在しないからである。
None of these errors is meaningful, because the miscreations of the mind do not really exist.
テキスト2章Ⅴ1
日本語訳は筆者
本来ひとつの存在であるものが分裂するのは、そもそも不可能
しかし、私たちは幻想に囚われています。
コップの中の水が互いに争うのを現実だと信じ切っている。
その私たちに、
「あなたの誤創造は存在しない。だからそれはなんの害ももたらさない」
ただそう言ってみても、単純に「安心」するだけかもしれません。
で、これまで通りに誤創造を続けちゃう…。
私の怒りや攻撃には、なんの害もなかったんだね。
じゃ、ムカついても大丈夫なんだね。
よかったぁ♪
なまあたたかいほほえみ
私たちは自分の悪意に自己防衛の力があると信じています。
自分の誤創造が、他者の誤創造の攻撃から守ってくれる。
そう信じている。
そのため、生半可なことでは「誤創造」(自分の心のなかで攻撃する)をやめようとはしません。