その「~すべき事」は、本当に本当にやらねばならないことでしょうか。
「~すべき」「~ねばならない」は、
自分が経験・体験してきた情報が元になって組み立てられた「べき論」で
あったりします。
自分の親に言われたこと、
自分が学校で言われたこと、
自分が本で読んだこと、
自分が知ったこと。
自分にとっての「すべき事」は、
他人にとっては「すべき事」ではないことがあります。
それは、育った環境、
経験してきた事柄が違うからです。
とはいえ、学校という集団行動の中では、
どうしても全員が同じであることが、
まだまだ優先されている実情もあります。
(個性重視・・と叫ばれることもありますが・・)
同じ制服、同じジャージをきて、
同じ教育を受ける・・。
集団生活は、「同じ」であるほうが統制しやすいがためでもあります。
そのため、違ったことや、その学校の集団ルールから外れたことを
やると、怒られたりするもの。。。
そういった「同じであることが要求される、集団生活」からも
「べき論」が確立されたりします。
そうやって培ってきた「すべきこと」。
それは、大人になっても、本当に「すべきこと」でしょうか。
「~すべきだ」という考えで、自分苦しくなったり、
「~すべきだ」と自分が思っている事が出来ていない他人が
現れたりすると、
「~すべきなのに(怒)」と嫌悪感に包まれてしまったり、
「べき論」は、時々自分自身も、そして他人に当てはめてしまうときも、
少々窮屈になることがあります。
それならば。
自分自身にたいしては、「~したい」という感情を大切に。
そして、自分の「~したい」を大切にしていると、
他人の「~したい」も尊重できるようになったりします。
窮屈な気持ちになるよりも、「~したい」を叶えていく。
気楽にそんな感じもどうでしょうか。
例)
あんなガラクタ捨てるべき!!
ではなく、
私の場合・・・
「あ、私、このガラクタ捨てたい。捨てよう。」
となり、
他人に対しては・・・
私:ガラクタ捨てると、私はすっきりして、楽になったよ。
他人:そうなんだ。。でも。このガラクタ・・実は私にとっては宝物なんだ。
私:そかぁ。それじゃぁ大切だね。
他人:でも、今度要らないものがあったら片付けを心がけてみるよ~
なんて、具合に。
なれたら楽ですな~。
ゆる~りゆる~り。