私はもともと電話が苦手だ。相手の顔が見えないから自分のしゃべった言葉に相手の反応がどんなだか、わからない。会話の間の取り方も難しい。仲良しの方ならば、そんな緊張はないけれど。そして、用件だけを伝えるならばそれは簡単だけど。長電話お得意の方からかかってくると厄介。
「じゃ、切ります」
のタイミングがつかめない。
そうしていつぞや現れたFAXさらにはメールというモノには驚きと感謝だった。時間を気にせずに、伝えたいことだけを伝えることができる。だからと言って、それでも常識的な時間帯を選びますよ。その代わり、よほど仲良しの友人以外は余計なことは文字にしてはならない。これ、鉄則だ。文章にして伝えるのは難しい。
「そんなつもりはなかった」
「あ~ん、違ったニュアンスであちらに届いちゃったみたい」
と、あとから厄介なことになりがち。練りに練ったつもりなのに。かくいう私も何回かの失敗はあるから、それからは気を付けるようにした。
さて、そこから私の周りでは、今、ラインというものが主流になった。こちらはさらに便利でグループも簡単に作れて、写真の送信も簡単だ。便利になるということは問題も発生する。
私もいくつかグループラインに参加しているが、それは昔の友だち同士、子ども繫がりからできたもの、が多い。会社関係もあるが、それらは仕事上でのお付き合いだから、困ったことにはならない。パソコンメールで上手く写真添付ができなかった、とか、なぜだかメールが送信できなかった、という緊急時のみに使う。そう、パソコンって、たまーにわけわからない不具合が起こる。特に詳しくない私にとっては、トラブルが生じるとお手上げだ。 普段はサクサクと仕事してくれるのに、一旦そうなったら、原因もわからず、どうしようもない。
友だちグループライン、その始まりは、大体が
「そろそろ集まりませんか?」
「飲み会開きましょう」
という言ってみれば連絡事項の拡散。悲しいかな、 恩師、仲間のご逝去などの連絡の時もある。その後
「いつ、どこで」
の徹底となる。
ところが、それだけに使用すればいいものをどういう経緯か、どなたかが、プライベートでお出かけしたとかで写真を載せたり、日常の報告?をするようになった。すると、
「私も行ったことがあります」
「その近くにある○○というお食事処のコスパが良かった」
「WBC観てきました」
「ランちゃんのコンサートに来ています」
「この前、サザン行ったけど、ずっと立ちっぱなし。この年齢にはきつい」
「ゴルフやってます」
「今日はお天気も良く、ゴルフ日和だね」
写真付きで流れる。
ほんの1部の人だけが参加している感じだ。私はほとんど参加していない。見る専門。要返信の時だけ、もしくは何かのお礼など、ごあいさつだけ打つことになる。1度ピコピコと鳴ると、そこから、まあその音が立て続けに鳴る。という理由から、申し訳ないが、着信音はオフにしてしまった。ある時、開いてみると知らないうちに30件なんて表示があって、びっくり!
さて、その方たちを悪く言うつもりはない。ただ、大勢のグループともなると、温度差ってモノが生じてくる。学校のクラス仲間ラインでは、知り合ってから半世紀は経っている。その間に、それぞれがそれぞれの経験をし、みんながみんな、現在、趣味やお出かけに時間を割くことができるわけではない。逆に今の自分にはできないが、仲間の行動に元気を貰えた、という人もいるかもしれない。情報も役立つこともあるかもしれない。そして、それらを発信するのが好きな人、苦になる人、様々だ。
私はどちらにせよ、連絡事項を流すために発生したグループラインはあくまでもそれだけにとどめた方がいいのでは?と思う。何事も節度って大事だ。そして、それを立ち上げた人の意図を考えるべきではないか?その方は今、全く送信がない。
頻繁にやりとりをする方だけで別にグループを作ったら良いのでは?とさえ思う。
一旦作られたグループ、退室するのは勇気が要るし。今後のお付き合いをすべて拒否する、その覚悟でのぞむことになる。すると、
「まぁ、そのままでいいか」
になる。
10年ぶりに学年同期会が開催される予定だ。どうも我がクラスの参加者が極端に少ないらしい。ラインのあり方が、そんなところの理由になってやしないかと、私はこの度思った。