妹と明治座、行ってきた。楽しみにしていた『大地の子』だ。
役者さんってすごいなあ、そこに尽きる。私は語彙も豊富に持っていないので、悲しいかなそれ以上の表現ができない。
山崎豊子さんのあの小説が存分に形になっていた。最後の「私は大地の子です」にはやはり涙が出た。終盤、周りからはすすり泣きの声が聞こえていた。
その後は妹とお決まりの食事会だ。お蕎麦屋さんで利き酒をオーダーして、あれこれと感想が始まる。
文庫本1,500ページを3時間に収めるのだから仕方がないが、どうしてもナレーションが多くなっていた。重苦しい物語の中で1度だけ『木曽節』が流れた。決して楽しさを表す意図があったわけではないが、少しホッとできて、目がウルウルした。音楽や効果音の重要性を感じた。それがあるからこそ、さらに辛く苦しく悔しくもどかしく悲しいお話が生きてくるように思う。
私が中学生か高校生の頃、さかんに「中国残留孤児」の帰国があった。それでも身元の分からない人は圧倒的に多かった。たまたま父とそのニュースをテレビで見ていた。
「どうしてこんなにも わからないんだろうね。すぐに判明しそうなものに。すぐに日本に戻れそうだけど」
確か、私は父に向かってそんな言葉を発したと思う。未熟な10代の私だっだ。
父が言った。
「わかってても帰れない人がいるんだよ。それぞれの家庭の事情だってあるだろうし、言葉だってわからない。お金にも余裕がなければ受け入れられない。このまま中国で暮らした方がいいと判断したのだろうよ。このまま中国で暮らしてほしいと思ったんだろうよ。そうして、お互いに名乗らない」
このお話の中で、陸一心(主人公)は、言葉には出さずとも中国に残ってほしいと思う育ての義父母と、日本に戻ってほしいと訴える実父の気持ちの間で悩み、結果、中国に残ることを選んだ。「私は大地の子だ」と。
選択肢があること、それは幸せなようでいて実は辛いことかもしれない。一方で、選択肢がないこと、それは悲しいことのようでいて実はありがたいことかもしれない。
戦争は人を傷つける。たとえ命が助かり、傷を負うことがなかったとしても、人生を狂わせる。
一国の主ともあろう人間が、何を考えているのか?戦争のない世界はいつやってくるのだろう。
