「オマエの育て方が悪かった」

何度夫に言われたことか。最近は多少穏やかな口調に変わってきたが、以前はハラスメントに近かったと思う。

 

 子リス幼稚園で仕事をするようになって20年近くが経つ。前園長の人となりを知っているのは現在の職員の中でも有子だけだ。有子の几帳面な性格が信頼され、現在に至っている。夫の給料で十分な暮らしを続けてこられたのはありがたいことではあった。貯えもある。


 夫はまさか有子が離婚を考えているとは思ってもいないと思う。一人娘の真央が大学生になったのをきっかけに有子は計画を実行すべく動き始めた。お金がなければ離婚もできない。そこからコツコツと勤め始めたのだ。今思うと、ちょっと遅かったかな?夫はプライドが高いから、離婚に応じないだろう。だから、せめて卒婚でもいい。とにかく別居したかった。

 

 専業主婦として有子は必死にやってきた。特に子育てについては、力の限り真央に寄り添い、彼女のために時間のすべてを使ってきたと言ってもいいと思っている。

「育て方が悪い」

って、何がいけないというのだ。

 

 真央は学校の成績も優秀で、中学受験をし、大学はいわゆる「私学の雄」に入学した。「理工学部」つまりは「リケジョ」だ。友人も多く、有子としては申し分のない娘に育てたつもりだ。今は研究員として製薬会社に勤務する。自宅から十分に通勤は可能だが、真央は昔からしっかりしたところがあって、

「独り暮らしがしたい。はっきり言うと、この家、居心地が悪い」

と、ペロッと舌を出して、荷物をまとめて突然に家を出てしまった。夫にも有子にも住所くらいは伝えてくれたものの、鍵は渡してはくれなかった。寂しさを感じなかったわけではない。

 

 どうやら夫が不満に思っているのは、

「結婚もしないで30もとっくに過ぎ、真央はいったい何を考えているんだ!」

ってところらしい。そしてその怒りの矛先が有子に向けられるのだ。夫はいわゆるエリートという道を歩んできた。どんなものも手に入れてきた。ところが最近、周りの友人が孫の話を始めた。彼にはその『孫』が手に入らないことが悔しいのだ。

 

 有子はむしろほくそえんでいた。

「女は家に居ればいい」

「女が子育てをすればいい」

「女性には結婚して幸せになってほしい」

時代錯誤も甚だしい。有子は真央が一生独身でも、やりたいことをして好きなように生きてほしかった。

 

 「私のように生きなくていいからね。結婚が人生最高の幸せとは決まっていないよ。そういう人もいてもいいし、結婚しないからって卑屈になることもない。結婚できないのと結婚しないのは大きく違うのよ」

 

 子リス保育園の子ども、先生、保護者、すっかり子育てを終えた有子は落ち着いて冷静に対応できる。でも保育園ってところは面白いところだ。2年前に達也先生が入ってきたけれど、それまでは50~60代のパートさん、20~30代の保育士さん、6歳児までの子どもたち。

 まるで祖母、母、子どもの女系家族3世代のようなものだ。有子はそれを1人客観的に見ている気がしている。

 

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