かつての日本は戦後の焼け野原から立ち上がり、「経済大国」という目標のもとでひたすら物質的な豊かさを追い求めてきました。家電三種の神器(今の若い人は知らないだろうな)、マイホーム、マイカーなど、これらを手に入れることが「幸せ」であり、「成功」であると信じられていた時代です。しかし令和の時代、私たち日本人の価値観は静かに、しかし確実に変わり始めていると思います。
最近の日本人、特に若い人たちを見ていてふと感じることがあります。「何も困っていないのに、なぜか満たされない」、「夢や目標が見つからない」、「SNSで見える他人の幸せに焦る」。そんな話を聞くことが少なくないのです。
今の若い人たちはモノのない時代を知りません。生まれたときからインターネットがあり、スマートフォンがあり、コンビニもどこにでもあり、欲しいものはクリック一つで手に入る世界で育ってきました。まさに“物質的には豊か”な社会で生きているのです。まあ、ある意味50代半ばの自分もほぼ同じでしょう。インターネットやスマホはありませんでしたが、物質的に満たされていました。
でも、その便利さと豊かさの中で、逆に「何かが足りない」と感じている若者が増えているように思います。それは、目に見えるモノではなく、「心が満たされる経験」や「自分の存在が誰かに必要とされているという実感」なのかもしれません。
この問題は日本だけではありません。実は世界中の先進国が抱えている共通のテーマです。アメリカやヨーロッパ諸国でも、物質的な豊かさの裏側で、うつ病や不安障害、孤独感を抱える若者が増加しています。教育や経済の仕組みが整い、生活の基盤はしっかりしているはずなのに、なぜこんなにも「心の不調」が広がっているのでしょうか。
それは豊かになりすぎた社会の副作用なのだと思います。本来、人間は「誰かとつながること」、「必要とされること」、「意味のあることに取り組むこと」で、心の充足を得てきました。しかし、効率や成果が優先され、人と比べることが当たり前になり、日々の暮らしが“数字”や“評価”で測られるようになると、そうした心のよりどころが見えづらくなってしまうのです。
物質的な豊かさは確かに大切です。衣食住が安定してこそ、心の平穏も得られます。でも、それだけでは「生きていてよかった」と思えるような深い喜びや感動にはつながらない。逆に、豊かであるがゆえに、「心の居場所」が見つからない人が増えているのが今の時代の現実なのではないでしょうか。
だからこそ、私たちはいま、「本当の豊かさとは何か?」をもう一度考え直す必要があると思います。それは、「誰かと笑い合えること」、「気持ちを分かち合えること」、「自分の中に静かな充実感があること」、目には見えなくても心のなかで確かに感じられるものなのだと思います。
そんな心の豊かさが、本当の意味で人を幸せにするのだと思います。