人には一生の中で“あの時”にどこで何をしていたのか、同じ時代に生きた人であれば共通の時の記憶があるのだそうです。少し年齢が高めの人でしたら、ケネディ大統領が暗殺された時やアポロ宇宙船が月面に着陸した時がそれにあたるそうです。自分は9・11で世界同時多発テロが起きた時と3・11東日本大震災は、どこで何をしていたか鮮明に覚えています。
当時私は大学の研究室で材料実験を行っていました。接合体の強度試験を行っていた最中に、突然グラグラっと大きな揺れが来ました。場所は神奈川県だったので、その揺れは大きかったものの、とても長くゆっくりとしていた感じでした。
ふと外に目をやると、駐車場に停めてあった車がまるで踊るように揺れていました。自分たちはすぐに実験棟建屋から飛び出し、揺れが収まるまで大学構内の広い道路の真ん中でじっとしていました。
揺れが落ち着いてきたので、震源はどこなのか、どれくらいの規模の自信だったのか、ニュースやラジオで情報を集め始めるのと同時に、すぐに会社の本社と工場に電話しました。そして従業員みんなの無事が確認できてまずはホッとしました。その次に自宅へ電話しましたが、その時にはすでに電話がつながらなくなっていました。
すぐに帰らなければと大学を出ましたが、その時点で高速道路は通行止め、一般道で帰ろうと思いましたが、信号機が停電で消えていて厚木市内で大渋滞に巻き込まれました。
電話はつながらず、いつ帰れるかもわからない状況で困り果てていたところ、一本の電話がかかってきました。それは、海外からの国際電話でした。友人が心配して連絡してくれたのです。国内の電話は全くつながりませんでしたが、なぜか国際電話がつながったのを覚えています。
渋滞の中ですぐに考えたのが、食料品と電池を買い込もうと言うことでした。そこで、途中ホームセンターとスーパーマーケットに寄って、電池とカセットボンベ、カップラーメンとレンチンご飯を買いました。
結局、当時住んでいた埼玉の家に着いたのは夜中でした。8時間以上かかったことになります。おかげさまで妻も無事で、家にも被害はありませんでした。
その後の生活の大変さは、それぞれの場所で皆さん異なると思います。関東地方では、計画停電やガソリン不足など、当たり前の生活が出来なくなりました。しかし、東北・関東地方の特に太平洋沿岸地域の人のことを考えると、我々の苦労などは大したことなかったと思います。
さて皆さん、あれだけの思いをしたので、今は防災への備えが十分にできていますか?自分はある程度できていますが、まだまだ不十分だと思います。”のど元過ぎれば何とやら”、毎年3・11には改めて防災意識を改めて供える必要があると思います。
