大人の責任って何でしょうか。そんなことを考えたことはないかも知れませんが、世の中を俯瞰していると、今の日本にはこれが希薄で、さらにだんだんと失われつつあるのかなと危機感を感じています。
まず大人って何?ってことですが、ちゃんとした定義で話しているわけではありません。成人だと大人?就職して社会人になると大人?結婚して子供ができると大人?そのような区切りがあるわけではありませんが、ある程度の年齢以上で相手より年上であれば大人ってことにしておきます。
さてその大人の責任ですが、究極的には若者や年下を育てることだと思います。しかし、人を育てることは大変難しいです。年下を育てるには、まず自分自身が成長していなければなりません。その自分自身の成長には終わりがなく、またどれだけ成長しているかの判断もつかないのです。だから、自分はまだ人を育てるほど成長していないと言う人もいるかも知れませんが、それでも年下を育てなければならないのです。それが大人の責任だと思います。
良くも悪くも、どんな人だって大人に育てられてきたはずです。一人で勝手に育つ人はいないはずです。仮に悪い大人を見て反面教師として成長したとしても、それはある意味大人に育てられているのです。社会で生きている以上、必ず人との関わり合いがあります。無人島で一人で生きて行かない限り、必ず誰かとの接点はあります。そしてそこには年上と年下が必ずいるのです。
育てることは教えることとは違うと考えています。子どもは親の所作を見て成長します。親の思想や考え方、言動や行動を見て育っていくのです。教えているのではないのです。学校だって会社だってそうです。社会全体がそうなっているはずなのです。
しかし、その社会が少しずつおかしくなってきている気がします。昔は近所の知らないおじさんやおばさんに叱られたりしました。もちろん、何の理由もなしに起こられたのではありません。よそ様他人様に迷惑をかけるような行為に対して、地域社会の大人がちゃんと叱ってくれたのです。
これは、大人が子どもに対して厳しく当たっている訳ではありません。言わなければならない嫌なことをはっきり言っているのです。親も同じです。子どもを叱るのは、言わなければいけないことをちゃんと言っているだけのことです。なので感情的になって子供を怒ることとは違います。学校だって本来は同じです。先生が厳しいのは、言わなければいけないことを言っているからなのです。会社も同じです。上司は部下に対し嫌なことを言ってでも育てなければならないのです。そのはずです。
ところが、最近は何とかハラスメントなどの言葉やモンスターペアレントなどが一因で言わなくてはいけないことも言いにくい世の中になってしまいました。もちろんハラスメントはダメですし、他人の意見も大事です。しかしどうもやりづらい世の中になってしまいました。
それでも大人は年下や子どもを育てる責任があります。その為には、年長者が人として成長していなければなりません。そして年長者が教えることは人生経験だと思います。だから大人は人としての器を大きくしなければなりません。また、正しいことを言うだけが良いのではありません。時には考えさせることをしなければならないと思います。
そして、年下が、子どもが育ったら、最終的には「老いては子に従え」になるべきなのだと思います。