自分がろう付の業界に身を置いたのは、父がこの仕事を始め会社を創業し、それを承継したからです。しかし今ではこの仕事が自分の天命であると信じるようになりました。
父は宮城県の工業高校を優秀な成績で卒業し、当時気象庁に勤めたいと考えていたと生前聞きました。ところが、詳細は不明ですが高校生の時にケンカで骨折して留年してしまったのだそうです。その為、卒業時の成績はトップクラスだったにも関わらず留年したことが理由で気象庁の入社試験すら受けることができなかったようです。大学への進学も金銭的な問題で叶いませんでした。
そこで父は上京してある溶材商社に勤めました。そこで仕事と技術を覚え「ろう付」の世界に足を踏み入れました。その後、元上司が独立して会社を始めた際に一緒にやろうと誘われ、ろう付材料を販売する元上司の会社に勤めたのです。そして最後に自分で会社をやりたいと思い、自分でろう付の会社を始めたのでした。
一方祖父は、東北大学の金属研究所に勤めていたことは聞いていました。そして自分が大学で金属材料を専攻することになった時、元職場に連れて行ってくれたことを覚えています。祖父なりに喜んでいてくれたのでしょう。しかし、今思うともったいないことですが、金属研究所で有名な先生にお会いしたり貴重なお話を聞かせて頂いたのですが、その内容はほぼ覚えていません。当時はまだ若く大学で金属を学ぶ前だったので、正直あまり興味がなかったのです。
昨年実家へ引っ越す際に自宅と実家の整理をしていたところ、祖父の遺品が出てきました。思い出したのですが、仙台の叔父が祖父の遺品整理をした際に、金属の道へ進んだ自分が持っておけと自分にくれたものでした。それは祖父が日本金属学会で研究技術功労賞の第一号を頂いた賞状と盾でした。
ある日この話を日本溶接協会で話をしていたところ、ある方が東北大学出身で恩師が祖父の事を知っているのではないかとわざわざ調べてくれました。そうしたら祖父は技官のトップの工場長を務め、その人柄や功績など自分の知らない祖父のことを知らせてくれたのです。何かの縁を感じずにはいられませんでした。
気付けば図らずも自分は金属屋の3代目になっています。そしてこの業界で育ててもらい世のために重要な仕事をさせてもらっています。正直自分が見つけて喜んで進んだ道ではありませんが、今ではこの業界と仕事に誇りを持って、この大切な技術を次の世代へ引き継いで行きたいと強く思っています。そこで最近ふと「ろう付」の仕事は自分の天命なのだと気付いたのでした。