子供のころ車を持っている家は少なかった。今では気軽に行ける横手や大曲も汽車で行くところだった。

小学校のある丘から見えるいつもの赤いDD51が引く茶色の客車では無い1日に8本ぐらい走るクリームと赤の特急列車に東京に行ける汽車だと憧れを持っていた。


奥羽本線も電化され、朝や夜遅く走る青い客車の「寝台特急あけぼの」と「急行津軽」は残った「急行おが」は臨時急行になったが、秋田にも国鉄485系特急電車が使用され初めて小学校の丘からその姿も見た時「あんないい電車に乗って上野に行ける❗️」と大騒ぎになった。

鉄道ファンの中では

それほど人気ではない電車だが「国鉄485系特急電車」1番大好きな電車である❤️

そんな秋田県から上野も青森も乗り換え無しで行けた奥羽本線も今や標準軌、狭軌だけでは4分割され、運行からすれば福島米沢、米沢山形、山形新庄、新庄院内、院内湯沢、湯沢秋田の6分割になってしまった。



子供の頃は汽車や電車に乗ることは特別日であった。DD51が牽引する茶色の客車に乗るだけで心が震える特別な日であった。

湯沢駅には駅そばがあって横手駅では「かまくら弁当」という駅弁が立売りされていた。


蒸気機関車が引く汽車に乗ったことは幼い頃の記憶からすれば2回だったと思う。多分奥羽本線と羽越本線で2回、空調の無い客車では父がトンネルの手前で「窓を閉めれ」という言葉が耳に残っている。

汽車や電車に乗るのは町内のリクレーションで下浜海岸に海水浴するか母の長姉の家に漬物を漬けに秋田に行く時だった。

今では秋田県内もすっかり車社会でどこに行くにも車での移動で、横手も大曲も秋田すら車で行く。現在秋田県内の奥羽本線と羽越本線を走る701系電車に乗る機会もほとんど無い。


701系電車もかなりくたびれて、そろそろ新しい車両に変わるころである。701系電車はカッコよく無いので次の車両は転換系のシートありで快適な車両が走ってくれないかと思う。