親族への訃報連絡の落とし穴 | それでも実家は売れました。 〜施設に入所した親の家の片付けと見守り介護日記〜

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片道6時間の実家に暮らす母を近くに呼び寄せることになったのは、息子の小学校入学の一か月前。ドタバタの引越しから施設入所、物と思い出がいっぱいのまま空き家になった親の家の片付け。たった1人で270kmの道のりを何度も通い、家族の歴史と初めて向き合います。 

医師の最後の診察が終わった後、

母の部屋に残った私たち三人

(私、旦那、息子)

 

葬儀社への連絡は旦那に任せて

私は親族への連絡をすることにしました。

 

 

父が亡くなってから10年間

富山の実家で一人暮らしをしていた母

 

2019年3月に

「もう 1人暮らしを続けるのは難しいです」

 

とケアマネから連絡があり

私の住む関西に呼び寄せました。

 

 

その時の様子はこちら ↓

 

 

実家までは約270kmあり

移動には片道6時間かかる距離

 

 

母と父の親族も全員 

富山近く、

または東京近郊に住んでいて

関西に住んでいる人は一人もいませんでした。

 

母の友人・知人もすべてです。

しかも母と同じく90歳近い、、

 

 

母は87歳にして、

私以外、誰も知り合いのいない関西へ

移り住む決意をしてくれたことを

あらためて実感しました。

 

 

 

母は三人兄姉の末っ子

父は四人兄弟の末っ子でしたが

ここ15年の間に全員他界しています。

 

なので親族となるのはその子供たち

つまり「私のいとこ」だけでした。

 

 

父方の「いとこたち」と最後に会ったのは

7年前の父の七回忌で

 

 

母方の「いとこ」に会ったのは

六年前の母の姉の葬儀のとき

 

 

その時はみなさんにとても助けて頂いて

親族のありがたみを実感したのを

覚えています。

 

 

ただ、10年前に息子を生んで

子育てに追われていた私は

一人だけ遠方に住んでいたこともあり

 

10歳近く離れている「いとこたち」と

直接連絡を取る機会は

ほとんどありませんでした。

 

 

 

「遠方且つ コロナ禍での母の葬儀」

 

わざわざ足を運んでもらおうという

気持ちはなかったのですが、

 

 

「母が亡くなったことをすぐ伝える」

 

 

というのだけは

私の仕事であるという気がしていました。

 

 

 

私は母が几帳面に書いた

アドレス帳を見ながら

まず母方のいとこに電話します。

 

 

 「・・・・」

 

 

つながらない (-_-;)

 

 

続いて、父方のいとこに電話します。

 

 「・・・・」 (-_-;)(-_-;)

 

 

つながらない

 

 

誰にもつながりません(-_-;)(-_-;)(-_-;)

 

 

この日はお盆前の祝日

みんなお墓詣りにでも

出かけているんだろうか、、

 

 

家にかけても

携帯にかけても

誰一人出てくれません

 

 

 もしかして、、?

 

 

私は、部屋に残っていた

母の携帯電話の電源を入れました。

 

 

 、、、充電0%!

 

 

母が電話のかけ方を忘れて

だいぶんたちますが

解約するのが何となく寂しくて

そのままにしていました。

 

 

今度は母の携帯電話から

充電器を差したままかけ直しました。

 

 

 「、、、はい 」

 

 

最初に出てくれたのは、

母の兄(私の叔父さん)の長男の奥さんで

 

母が一人暮らしになった後

叔父さんを連れて よく

実家へ顔を見にきてくれていた方でした。

 

 

(私)

 「ご無沙汰しております。

 私、○○(母の名前)の娘のうきです。」

 

 

(いとこの奥さん)

 「あー、うきさん? 久しぶりやね。

 もしかして さっき何回もかけてくれたの

 うきさんやった?」

 

 

(私)

 「はい、そうです。

 すみません、私の番号ってわからなくて

 怪しかったですよね。

 今、母の携帯からかけてます」

 

 

(いとこの奥さん)

 「ごめんなさいね、

 すぐにでたらよかったね

 どうしたの?おばさん お元気ですか?」

 

 

(私)

 「実は母、先ほど亡くなりまして、、

 その連絡をさせて頂きました。」

 

 

(いとこの奥さん)

 「え、、、おばさん亡くなったの?

 ずっと悪かったの?年賀状も毎年頂いて

 元気で楽しく暮らされてるものだとばっかり、、」

 (奥さん、母のために泣いてくれてました(T_T))

 

 

(私)

 「はい、

 少し前に入院してそこから少しづつ、、

 でも最後は一緒にいられたんです。

 まだ葬儀など何も決まってないんですが、

 

 母が富山で暮らしてた時に

 とてもお世話になったので

 お知らせだけもと思って、、

 

 今はコロナもありますし、

 とてもとても遠方ですし、

 家族四人だけで母を送ろうと考えてます」

 

 

(いとこの奥さん)

 「お世話になったのはこっちの方ですよ

 すぐにでも行きたいですけど、、

 

 わかりました。

 

 主人と何ができるか相談してみますね

 うきさんも大変だけど、お疲れでませんように」

 

 

そう、年賀状以外に

近況報告を全くしていなかった私の

携帯番号は、誰にも知られておらず、

ただの怪しい番号に

 

 

オレオレ詐欺の人かと

思われたみたいです( ̄▽ ̄)

 

 

そうやって、

母の携帯電話から

一人ずつに着信を残すと

折り返しの電話がかかってきて

徐々に連絡がとれ、

 

いとこの長女さんに連絡がとれた時点で

ご兄弟全員に連絡を入れて下さいました。

 

 

すぐに駆け付けてほしい場合は、

予兆の段階でお知らせを

入れておかないといけなかったし、

 

そうでない場合は、

もう少しあとの連絡でもよかったと

 

このとき知った私でした、、。

 

私ってホントに無礼者やな、、

 

 

 

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