今週、所用で名古屋に出かけた。
名古屋は小学3年~4年の2年間、父の仕事の転勤の都合で住んで
いた街。
たった2年だが、記憶はしっかりしていて2年間の様々なことはよく覚
えている。
そのころ中村区に住んでいたのだが、みんな男の子は中日の青い
帽子をかぶっていたし、野球の選手もよくみかけた。
テレビのコマーシャルでは「しろ、くろ、抹茶、あがり、コーヒー、ゆず、
さくら・・・」と、ういろうの宣伝をしていたのもよく覚えている。
あとは、「納屋橋饅頭~♪」というテレビのコマーシャル。
いまはどうなのかは、知らない。
3、4年生くらいだと、ちゃんと地下鉄に乗って、友人と遊びに出かけ
たりもしていたし、プラネタリウムが好きで何度も行った記憶がある。
そのころは、ちょっとだけまねをして「名古屋弁」もしゃべった( ´艸`)
大阪の豊中市から転校することを聞いたときは、子供心に・・・
「いやだなぁ・・・」
と、思った。
父の仕事での転勤なのでしかたはないが、豊中市には3年間。
仲のよいお友達と離れるのがなにより寂しかったかな。
姉や兄も同じだったらしい。
学年の途中での転校ではなかったので、それはまだよかったのかも
知れないが、転校生として紹介されるたびに黒板の前でみんなから
好奇(善意だったかも)の目で見られているなぁ・・と子供ごころに感じ
て緊張している自分をやはり、今も鮮明に覚えている。
よく行った「中村水道公園」そのそばの図書館。
転校生の私は、いきなりみんなとは仲良くなれないから、どうしても本
がお友達に・・・・・。
でも、図書館に行くお友達はちゃんとできたけど。
2年間で仲良くなった2人の友人は、現在は横浜市と静岡県(何市か
・・度忘れ・・)に住み、お互いに結婚した今も年賀状のやりとりの中
で近況を報告し合っている。
でも、友人たちの姿の記憶は小学生のまま・・・f^_^;
年賀状のなかの写真でお互いに大人になった友人を確認はしている
のだけれど・・。
横浜市に住む友人は5年生で離れ離れになってから、高校を卒業まで
位までずっと文通を続けていたので、結構、私の青春をくまなく知って
いる。
彼女はいま、雑誌の編集に携わっているらしく、深夜まで毎日働いてい
るということだ。
私の実母もいまだに彼女の母親と文通していると聞くので、親子で仲良
しだったということなのね(*゚ー゚*)
たった2年なのにいろんな思い出のある名古屋。
時間があったら、名古屋城へ行ってみよう♪と、足をむけたがあいにく
「あっ!名古屋城が見えた♪」というところで、時間がなくなり引き返す
ことに・・・。
歩道橋の上から、「パシャ♪」
木が邪魔だけど、私の記憶にあるたたずまい。
中は、鉄筋のビルだったような記憶だが・・・・・。
「金のしゃちほこ」も見えた。
時間があったら、その頃住んでいたところを一度訪ねてみたいな・・・と
思う。
以前に幼いころ住んでいた豊中市も訪ねたが、そのとき感じたのは、
公園が思いのほか小さかったこと・・・
幼稚園が思いのほかこじんまりしていたこと・・・
道が狭かったり・・・。
そう、自分が小さかったから、全ての記憶が大きく感じられていた。
3年生、4年生のころの私の記憶がよみがえる・・・。
今度はゆっくり、名古屋に行きたいな。