自由気ままにリベルダーデ -148ページ目

カーニバル前日

たしかこの日のリオはのち(この日22時ごろはどしゃぶりだったので、その時行進した人は可哀想。気温35℃。


いやぁ、行って来ましたよ。カーニバルへ。


その感想を楽しみにしてくれている友人からの催促もあるので、私なりにおちゃらけ報告をしちゃいます。


日本から来た友人・お神を含めた我が家4人プラス、サンパウロ在住が長い人から短い人、駐在員から移民まで含めた16名プラス見るだけの人4名を乗せたマイクロバスは26日朝8時、サンパウロを出発したのでした。


そして、勇気ある参加者、つまり、その日の朝、飛行機が遅れるかもしれないのに札幌から参加を申し込んだ女性を空港で無事に拾い、一路リオデジャネイロへ。


サンパウロからリオまでは片道約6時間の旅。


カーニバルにはたくさんのサンバチームが参加するのですが、毎年、そのチームごとにテーマとテーマ曲があります。


我々が参加するのはリオでも老舗でもっとも有名なサンバチームの1つ「マンゲイラ」。


ところが、不真面目、いい加減参加の我が家のメンバーはそのテーマ曲を覚えようともしない。


団長が出発前に送ってくれた日程表には「歌詞の暗記は最後の1秒まで努力してください。必ず忘れられない楽しい思い出になります」とまで書いて、次のページにはポルトガル語の歌詞「Vou navegar…」を書いてくれているのに…。


早速、行きのバスの中で、団長は曲をかけて、参加者は皆、歌を口ずさんでいるじゃありませんか。


ふと、我が家の一行を見ると、誰も歌詞カードなど見ることはなく、そ知らぬ顔をして窓から景色などを眺めている!!



「こりゃ、いかん」と慌てた私は、即興でポルトガル語に日本語の発音記号を付けてみた。


たとえば、「Vou navegar…」は「棒、鍋がある」。


「Opara…rio-mar, o nativo batizou」は「オパーら…ヒオー丸、お奈知坊、ばち蔵」という具合。


もちろん、意味はない。


単なる読みである。


でも、英語読みではない、ポルトガル表記を、初めてブラジルへ来たお神やひとつもポルトガル語を覚えようとしない母にせめて読みやすくするために…と、作ったのだ。



結果、お神は多少は読んで口を動かしてくれたが、強敵の母は「目が老眼だから…」などと適当な言い訳をして、相変わらずのマイ・ペース。


こんな我々が歌を覚えようが覚えまいが6時間後にはきっちりリオへご到着。


初訪問のお神たちは「ポン・デ・アスーカル」という、観光客は1度は訪れなければならない関所のような所を参拝。


海岸に山がいきなり2つあって、そこをゴンドラで登っていくと、世界の3大リゾート地・リオの全景が海側から見えるという場所だ。


つい1月に行ったばかりの母と私はその料金のバカ高さにあきれて、ホテルでお留守番することにした。


ゴンドラ  これがポン・デ・アスーカルだ。


rio このお兄さんの頭に「RIO」と剃り込みがしてあるのだが・・・。

rio  ということで、アップにしてみました。


さて、お留守番の我々は、夕方には届くという1着750レアイス(約3万5000円)の衣装を待っておりました。


「そろそろ到着では…?」と、ロビーへ降りて行くと、予定時刻よりきっちり1時間遅れのブラジル・オン・タイムで黒いゴミ袋に入ったものが届きました。


そりゃ、ちょうどいい入れ物が無かった・・・という気持ちは分かるけど、「ゴミだよ、こりゃ」という感じで、ブラジルでは信じられないくらい高額な衣装なのに、ゴミ袋入りでホテルに届きました。


ゴミのようにして届いた衣装


団長の「事前に衣装合わせを必ず行って、自分の身体に合うように調整して下さい!」という注意のもと、私が誘った60歳前後のおばちゃま達はその真面目さを発揮。


ゴムひもやら裁縫道具、安全ピンを駆使して、衣装をびっちりと合わせていく。


母もこの時ばかりは真剣に衣装合わせをして、真っ先に服を着込んでいたのであった。


夜7時には団長の携帯に日本のFMラジオ局から電話がかかる。


日本人がカーニバルへ出演するということで、その雰囲気を生放送で放送するらしいのだ。


団長から頼まれて、ラジオに出演。


だが、私ひとりでは心もとないので、バスで一緒に来たご一行に声をかける。


ホテルのレストランを貸し切り、といっても別にお金を払ったわけじゃないけど、そこで集まった10人ぐらいでマンゲイラの歌を歌ってもらいながらその場の雰囲気を伝える。


「日本からカーニバルのために来た人もいるんですよ」とか言って、本当に日本から到着したばかりの男女に電話をかわる。


「マンゲイラにはどんな有名人が参加するんですか?」との質問には分からないから団長にバトンタッチ。


団長も知らないらしくいい加減な事を言って、その場を凌いでいた。


終了後、「あんなに騒いで大丈夫なんですか?」とラジオスタッフからの心配そうな声。


ご心配なく!ここはブラジル。


あのぐらいの騒ぎは可愛いものである。




その後、この日はそれぞれ、リオの夜の街でお食事。


何度かリオへは行ったことがあるけど、「こんなに混んでいるのは、初めて!ギョえ~」っていうぐらい混んでいたし、うるさかった。


美味しいとか、有名とかいうよりは、空いていて、座れそうなレストランへ入り、スパゲティーを7人で食す。


スパゲティーぐらいじゃお腹が一杯にならなくなった巨大な胃を抱えた私とおもろい君、お神は道端のビール売りからビールとウインナーの串焼きも買い求め、さらに立ち食い。



路上でアクロバットや火付きの紐を飛び越えるカポエイラ青年たちに拍手を送りつつ明日の本番に備えるのであった。(つづく)

空港でお出迎え

お神さんを迎えにサンパウロのグアルーリョス空港まで行きました。同級生のおもろい君も一緒です。


安いチケットだけに北米で2回も乗り継いでやって来たお神さん。荷物は少なめ、機内預けなし、という忠告に素直に従ったにもかかわらず、待てど暮らせど出てきません。


ちょうど1時間も経った頃でしょうか、なにやら空港内でどんちゃかドンちゃか賑やかなサンバのリズムが聞こえてくるではありませんか。「どうせ、まだまだ出てこないだろうから」とタカをくくった私は、おもろい君に出迎え口のチェックを任せ、何やら音のする方を調査しに行きました。


すると、太鼓を叩く人4、5人とビキニ姿のお姉ちゃん2人が軽快なサンバのリズムでお尻をプリプリさせながら踊っているではありませんか。ちょっと、待て?ここは空港ではないか?でもまぁ、いいか。「あ~、今お神が着いたら、いいもの見れたのに」と思った矢先、誰やら私の肩を叩く人が・・・。


見ると6年ぶりに会うお神さん。「いや~、何やら賑やかだったから、ほら、あれ、それ」と意味不明な言葉で、やってきた瞬間をお迎えできなかったことの言い訳をする。サンバお姉ちゃんに興奮する女の私を尻目に、ひじょーに冷静な男性陣はサッサと空港を出ようとする。


まっ、いいか。トボトボと出口に向かって行くと何やら配っている。先を行く2人がもらったから、私もすかさず手を出すと、なんとそれはコンドームだった。


日本から来たお神さん「そう言えば、ニュースでやっていたよ。ブラジルではこの時期コンドームを配るって」と情報もバッチリだ。こうしてブラジル製コンドームはお神さんの最初の日本へのお土産となった。


そういえば、昔私が初めてイギリスへ行った時、大学のサークル仲間の男の子へのお土産はコンドームにしたっけ。あとから後輩が「大きかったです」と報告しにきてくれた。お土産はいつの時代も難しいものである。


しかし、それにしても、空港だよな、ここは・・・。さすが、ブラジル!

飛行機チケット

今日のリベルダーデは?だって、この日は朝からバスでリオデジャネイロへ移動したんだもの。リオの天気はのちでした。気温は不明。


さて、どうしてリオへ行ったかというと、前にもチラリと書いたんですが、日本からお神という我が家のおもろい君の友だちが来たのです。お神とおもろい君は高校の同級生。


以前、勤続10年目にして5日間の連続休暇と書いたら、今日、それは間違いで20年でやっと5日の休みが取れたことが判明した。


日本って、厳しいな~。


ブラジルは1年働くと1ヶ月の休暇がもらえるのに・・・。


で、お神はカーニバル時期に休みを合わせて来たので、行ってきましたよ、リオのカーニバル!しかも見るんではなく参加したの。だって、見るより出る方が安かったんだもの。


ちなみに見るのには1人、チケット代、ホテル代、サンパウロからリオまでの飛行機代などで2000レアイスから4000レアイス。これは約12万円から24万円かかってしまう計算になるのです。おいお~い、たった1日か2日、リオのカーニバル見に行くだけで4人で行ったら100万円にもなってしまうではないか。


お神は日本から10万4500円(出入国税、ビザ代を含むと14万8600円)のチケットで来たんだぞ!日本からブラジルよりサンパウロからリオの方が高いなんて許せない!ということで、出ても高いんだけど、衣装がもらえるだけ得だし、「踊る阿呆に見る阿呆、どうせアホなら・・・」ということですわ。


それにしても、私が遥かむかし、海外旅行をしようと思うと、よくカレンダーを破って、その裏に表を作って、横には旅行社の名前と電話番号、縦には飛行機会社を書いて、あっちこっちの格安旅行社へ電話をかけまくり、値段を聞いて書き取って、表を比較し、一番安かった旅行社を訪れてチケットを購入したのがウソのようだ。


お神はすべてインターネットで


格安航空券販売はこちら

こういう↑ので、仕事の合間にチケットを手配して、このカーニバルの高い時期に安~いチケット手に入れちゃうんだもんな~。やんなっちゃうよ、ほんと。


ブラジルだって、ネットで飛行機のチケットを買えるだけど、私、ポルトガル語が・・・。


情けない、トホホ。。。


でも、カーニバルは日本のお盆やゴールデンウィークのように、ブラジルだって足元見るから、ホテルは1泊しかしなくても7日分のパックになっていて、ここぞとばかりに高いんですよ、ほんと。


家でじっとしているという人の気持ち、ちょっとだけ分かります。ハイ。

ケーキ

今日のリベルダーデは曇り。28℃。


昨日からケーキを食べ続けている。今年になって3回目のケーキ作製であ~る。1月、2月と同居人の誕生日があり、昨日はインターネットラジオ に出演して下さった方が88歳の米寿を迎えるというので、朝、栗のケーキを作ったのだ。


こう書くと、すっげー私が料理上手で女らしい人のようだが、実はブラジルでは誰もがあまりにも簡単にケーキを作る。


日本のケーキのレシピを見ると、ケーキ作りは一大事業のように大変だ。


だが、ブラジルではあまりにもみんなが日常的に、当たり前のようにケーキを作るから、つい、私も作るようになった。


とは言っても、ちゃ~んと秘密がある。


それは↓コレ。

ケーキ

ちゃーんと、ホットケーキ・ミックスのようにこっちではケーキの粉が売っているのだ。この粉に卵とバターと牛乳を混ぜて作るとほとんど失敗がない。


こちらではケーキのことを「Bolo」と言う。私のお気に入りはオレンジ味。あまり甘すぎに美味しいのだ。


もちろん、日本のように細かい繊細な味が出るわけではない。


でもブラジルで普通に買うと甘すぎるので、甘さ抑えめは自分で作るか、日本でケーキ修行をしてきたような日系人の作る高~いケーキを買うしかない。こうして、わたしのいい加減ケーキ作りは続けられていく。


でも、大好物だったコージーコーナーのシュークリームと繊細な日本のケーキもたまに食べたくなるのであーる。

ところで、一体いつから日本は「甘いもの」を「スイーツ」と呼ぶようになったんですか?誰か教えて!

バナーもあるの

今日のリベルダーデは。32℃。


「ブラジル日和」の第25回、β版を入れて26回目の放送をした。


そうそう、「ブラジル日和」って何かと言えば、ブラジルから私とその仲間たち で毎週だいたい木曜日にゲストを招いてインターネットラジオ放送をしているもの。ゲストは移民。お年を召した方もいれば、若い歌手もいる。あとはブラジルの経済情報や日系社会コーナーなどその時の気分で放送している。目指すは、貴重な移民体験の「声のライブラリー」。


ところが、今日はトラブった。音が出ないのだ!放送ができない。生放送ゆえのパニック、ぱにっく、パーニック。結局、音楽をカットし、40分遅れでスタート。音楽をほとんど入れずの生放送でした。


今日の放送は88歳の戦前移民の方。よろしかったら、聞いて下さい。


そうそう、友人ブロガーに「リンク貼って」ってお願いしたら、「あのTシャツの大きな写真じゃ、バナーとは言えないよ~」と文句がきた。

ブラジル日和

違うんです!ちゃんとバナーもあるのです!

ブラジル日和バナー

ねっ!

アロエ

今日のリベルダーデは。32℃。


ここ2、3日我が家はアロエに振り回されっぱなしだ。もともとアロエは「医者いらず」と呼ばれるほど、やけど・日焼け、胃もたれに我が家では大活躍してきた。


実は何を隠そう、わたし、ブラジルへ来てから、いや、その前からかな?ほとんど化粧というものをしてこなかった人間だ。だから化粧水とか乳液とかもほとんど付けていない。ブラジルへ来てから、化粧品代は0円で、貧乏な我が家は大助かりである。めったにこの国で顔がバリバリすることはないのだが、たま~に水分不足になった時、日焼けしすぎた時の乳液代わりは家に生えているアロエである。


さらにおっちょこちょいの私は年中やけどもしている。屋外でバーベキュー方式の結婚パーティーに参加した時もやけどをして、見事、氷とアロエで急場をしのぎ、跡も残らなかった。よかったよかった。


そんな大事なアロエ君が大きくなり過ぎて植木鉢から倒れ掛かってきたのだ。そこで急きょ大きめの植木鉢に植え替え。ところが我が家には土がない!たまたま近所で家を改築しているのか、ほっているのか、大きな工業用ゴミ箱に赤土がどっさりとあるではないか。


アロエの土

そこで袋とシャベルを手に土を頂戴する!


なんでブラジルの土はこんなに赤いんだー?


とりあえず、アロエを植え替え、土不足の所へポンポンと赤土を足す。「さー、これでOK!」と思って、一晩置いたら、翌日、「アロエが倒れているよ~」との叫び声が・・・。


仕方ない、もう一度、ボロボロ赤土をギューギューと押し込み、倒れこんだ方向にシャベルをつっかえ棒にする。

アロエ

がんばれ!我が家のアロエ。根付くんだ~。

死の直前

今日のリベルダーデはときーどき雲が出てくるかな。30℃。


きょうもきら~くにブログを書こうと、朝、こちらにある邦字新聞を読んでいたら、


「一瞬、鬼がいると感じた。異様にくぼんだ目とこけたほお。自己の意志で生きているのは頭脳と目と右手だけだった。赤鉛筆を持った右手が小刻みに震えている。何枚かの原稿にまたたく間に朱が入った。


どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。出来上がった原稿を私に手渡し、無声音で清書の指示をした。


みるみる鬼が先生の体内から去っていった。柔和な顔が残った。それは人生との壮絶な対決を終えたすがすがしい顔だと思った」。(斉藤広志著『ブラジルと日本人』「あとがきに代えて」から。サイマル出版会、一九八四年)という文章があった。


これは日本の若者がブラジルで働きながら学ぶという「日伯交流協会」という制度を立ち上げた斉藤広志の死の直前を語ったものだ。


執筆者はその制度のOBであり、現在、サンパウロ大学の教授である森幸一氏。


さらにその交流協会の現在の研修生である南部サヤカさんが■25年=交流協会生コロニアと共に= という題名でニッケイ新聞に連載をしている中からの抜粋である。




なんか、きら~くにブログを書こうと思っていたのが悪いような気がした。




今、まさに死ぬという直前の姿を「鬼」に喩えられてまで、原稿用紙に向かう人がいったいどれほどいるだろう。



昔、まだワープロもパソコンもなかった頃、原稿用紙でものを書いていた。ワープロやパソコンで打つようになった時、こんな下手くそな私ですら、なんか文章の流れが変わったような気がした。



こんな私は、書くことではないにしろ、私の死の直前、いったいどこの機能が最後まで生き残るのだろうか?


そんなことをふと、思った。



私も読まなきゃ、と思って、日本の人に紹介したんだからあるかと思って、上記の取り寄せで「斉藤広志」を調べてみたら、ちゃんと出てきた。


日本って、便利だなぁ。


ブラジルはブラジルに関する本は結構あるけど、それ以外を破格値で手に入れるのは難しいもんな。

刺青

今日のリベルダーデは晴れたり降ったりまで鳴ったり。29℃。


こんな天気の中、の合間に街へちょっと出たら、向こうから顔から腕からほぼ見えるところ全部に刺青をした人が歩いてきた。思わず写真を撮りたかったけど、あいにくカメラを持っていない。いや、持っていたとしても写真はやっぱり撮れなかっただろうーなぁ。だって、怖いもん。


ブラジルでは刺青が流行っている。そういえば、日本の893(やくざ)さんがブラジルまで全身刺青人間の刺青を買いに来たというウソだかホントだか分からない噂があった。生きていたらいくら、死後だったらいくら、なんて生臭い話だったが、あんまり信じられない話だ。


とはいえ、1~2週間で消えるヘンナや刺青で、日本語を書くのも流行っている。今年のお正月、海へ行った際に見つけた刺青。ちゃんと「写真とってもいい?」と聞いて、了解を得て撮った。けっこういい人たちで、「俺のも」「俺のも」と差し出してくる。一人たまたまカメラなしでふらついている時に、キティちゃんの刺青をしたお姉ちゃんとすれ違って、写真に収められなかったのが、ざ~んねん。


さて、貴 この方、あまりにきれいな字なので、感動。でも、「貴」の右下、消えちゃっています。それよりも何よりも、やっぱりブラジルの太陽は強いのね。わたしらは「殺人光線」って呼んでいるけど、背中のシミが・・・。皮膚がん、大丈夫かなぁ。


そしてそして次なる方はルカ 。「あーぁ、やっちゃったー」って、感じ。あたしなんかから見ると「どーすんのよ、その下手な字で、『ルカ』って、あんたそれ、一生消えないんだよ」って、叫びたかったんだけど、そこはグッと抑えて、「なんで、『ルカ』なの~?」って、聞いたら、すっごい笑顔で「息子の名前なんだ!」って!


何となく、下手な字でも「まっ、いっかー」!意外とやさしいパパさんとの出会いでした。

ストリートアート

今日のリベルダーデは晴れ!29℃。

愛の落書き

この絵はイラクがアメリカから突然の攻撃を受けた頃、突如として現れた。よく見ると、男の子が持っている銀の看板には「あいは どこですか」と描いてある。


このペインティングがあるのはブラジルである!

脇には「PAZ e AMOR NO MUNDO!!! 」 と書いてあるのは、読めるかと思うが、意味は「世界に平和と愛を!!!」だ。たかが、落書きかもしれないけど、そこには主張と愛があると思った。


日系人が描いたのかな?とか、自分の似顔絵かしら?KMはイニシャルかなぁ?日本語は一体どのくらいしゃべれる人なのかなぁ?とか、想像するだけでワクワクした。


だから、ずっと、この落書きが好きだった。


以前、私がまだ日本にいた頃、新宿西口地下道のダンボールハウス にも武君とタケヲちゃんというアーティストがダンボールハウスに絵を描き続けていたっけ。


高尚な絵もいいけど、私はこういうのが結構好き。


ところが、先日この前を通ったら・・・

そして、なくなった

消えていた。


どうやら、壁の向こうに大学の建物が建つらしい。ストリートアートが金儲けの私立大学に負けちゃうのかな。


悲しかった。

リベルダーデとは・・・

今日のリベルダーデは曇り時々雨 。25℃。


昨日でサマータイムが終わり、今日19日からは日本とちょうど12時間遅れ。分かりやすくなった上に今朝は1時間寝坊できて、得した気分だった。

リベルダーデ2002年

今まで表紙に使っていた写真はタイトルでもあるリベルダーデの写真。リベルダーデはブラジル・サンパウロ州サンパウロ市内にある日本人街のある地区の名前。Liberdade と書いて「リベルダージ」「リベルダーデ」と読み書きされる。


単語もともとの意味は、ブログのタイトルにもある「自由」。そう、英語で言う Liberty だ。ニューヨークにある自由の女神(=The Statue of Liberty) の「自由」だ。


こちらサンパウロの「自由」には女神はいなくて、その代わりに赤い鳥居がある。


去年の3月までサンパウロに住んでいた友人から「ブラジル・日本の国旗に、韓国の国旗も混じってんだね。やっぱ、日本人街じゃなくなってきたのかなぁ?? 」とメールが来て、あわてて説明する事にした。実はこの写真は、2002年のW杯の時のもの。2002年のW杯は、日本・韓国での開催だったので、その両国とブラジルの国旗を飾ったのです。ふだん来たら、この旗はありませんよ~!


昨日が長かったので、今日はここまで!ちなみに今月28日はカーニバルです。ちょっと前のサンパウロのカーニバル写真ですが、季節モノなので、衣替えというか、表紙替えをしてみました。