引き続き、言葉のエネルギーについて。
日常生活の中の言葉のエネルギーの前に、
日本文化を説明したほうがよりわかりやすいかもしれません。
例えば、鎖国直後の日本人は、国際社会から恐れられていました。
恐れられる理由のひとつが、何を考えているのか、非常にわかりにくい。という点でした。
同じ日本人同士なら察知できる、あうんの呼吸。察する。無言による感情表現…。
日本には、「言わなくてもわかる」コミュニケーションが存在していました。
今は亡き。という感じですが。
音楽。
邦楽では、「よ!」という掛け声から7連符や11連符が揃ってスタートできてしまいます。
適当にやっているようですが、実はしっかりとしたリズムのようなものがあり、無音の連結にわくわくします。
よく『呼吸』と表現されますが、普通にイメージする呼吸よりももっと、絶対的宇宙的テンポに沿っており、「よ!」の中に含まれる音にならない部分を出演者全員が察知している音楽です。恐るべし邦楽。恐るべし日本人。
島国であり、長い間、別の言語圏からの侵略を経験することがなかった日本人は、諸外国に比べて、言葉が通じない相手とのコミュニケーションが未発達でした。
反対に、言葉が通じない相手とのコミュニケーションが多い国の代表といったら、米国でしょうか。
日本人と比べてエネルギーが強い感じで、とにかく、子音が強い。ppやttになると、「っっっぷ」「っっっとぅ」。その上、母音が強い。相手にぶつけるように話します。パッション!炸裂!刺激的!
声の成分は胴鳴りが強く、相手の体内に、エネルギーを捻り込むように話します。
対して日本(特に東京)では、口の奥に言葉をとどめるように話します。子音は最低限で、抑揚も少なく、強弱も平坦で、母音が途切れ途切れに聞こえてきます。唇はほとんど動かしません、たくさん動いたほうがガサツです。負け。わびさび。
江戸弁はべつで、東京の古い職人さんたちは、子音が強い。さっぱりしてておっとどっこいちゃっきちゃき。
東京にいる、地方出身の人の発音は、口の中にこもっています。ひょっとして、都会発音を意識した結果、抑えすぎているのかもしれません。
大阪あたりは、少しアメリカ人ぽいのかも。なーんでやねん、どーなーいやねん。
そしてたぶん、青森は、「な、は、な。」(あなたは、花のように美しい人ですね)←うそですが大体こんな感じです。究極の無音。
ちなみに私のふるさと北海道は、日本の中の多民族国家。子音も強め、母音が案外ねばります。言葉、重いです。
なーまらしょっぱいんでしょやー。(大変塩辛いですよね?)
あまりアホナコトばかり書くと、専門家にお叱りをうけそうなのでイイカゲンにしておきます。
あくまでも、私が経験から感じたことです。
さて、
鎖国直後。
日本人は、相手がだいたいなんと言っているのかわかったはずです。
表情や、声のトーン。
ところが、あちら様からは、わからなかったのです。さっぱり。
怖いくらいわからない。
ダイナミックなコミュニケーションに慣れていた彼ら。
繊細な(音にならない音もふくめた)コミュニケーションに慣れていた日本人。
相互に理解しあえなかったのではなく。
レベル小は、レベル大が察知でき、
レベル大は、レベル小が察知できなかった。
続きます。
徳田美和