昨日の初日、私は家のテレビで見た。
(広島には行けることになっています!)
以下、ほんの少しネタバレを含むので、嫌な方は後日お読みいただけると嬉しい。
ストーリーブックを読んだときから、この公演の成否は、演出も勿論なのだが、何より選曲と演技内容とに懸かっていると思っていたので、本当にドキドキして、少し苦しかったくらいだ。
ストーリーブックの『問い』はすべて哲学的で抽象的で深いものであったのに対し、演技そのものがそれらの答えとなるよう設定されていた。
それだけの説得力を、演技そのものに持たせなければならないことは明白だった。
結論から言えば、羽生選手を中心として、この公演に関わる総ての人たちは、その難題を本当に見事にやってのけたと私は思う。
特に後半が素晴らしい。
演技そのもので語られる答えは、言葉では零れ落ちるものも拾い上げて伝えてくれる。
何よりーーー
羽生選手、《再生の力》の答えを『ダニー・ボーイ』に置いて下さって、ありがとう。
私は、『ダニー・ボーイ』が流れた瞬間に、胸に熱いものがこみ上げるのを止めることが出来なかった。
それは、私がキースの『ダニー・ボーイ』を聴く度に感じてきたことだった。
これを聴く度に、私は私の心が再生されるのを感じるのだ。
どんなに心が荒れて、石ころだらけになっていても、この音楽はいつも私の心に潤いを与えてくれ、心の毛細血管に再び血が通い、美しいものを美しいと感じる心を取り戻すことが出来る。
その力を、羽生選手も感じているのだろうか?
それはわからないけれど、《再生の力》の答えにこの素晴らしい演技が置かれたことは私にとって、この上ない意味を持つことだった。
ここでは、もはやキースの演奏と羽生選手の演技は、こうやって別々の言葉で表すのが不自然なほど、分かつことの出来ないものに私には感じられた。この演技がここに有ることで、このアイスストーリーは、私の中で特別な意味を持つものになった。
他の部分についても必ず語りたいが、それは後日に譲ろう。
今はただ、羽生選手とこの公演を作り上げた全ての方々に心からの感謝を捧げたい。
追記: ところで、『憎悪』の音にオーケストラの練 習前の音だしを使ってましたね?協力したオーケストラ、どこでしょうね!