梅雨が空けた途端に、猛烈に暑い日が続いている。
今朝も既にガンガンに暑く、外ではクマゼミの合唱がうるさいくらいだった。
今日は羽生選手のプロ転向記念日。(投稿する時には昨日になっているかもしれないけれど!)
2周年おめでとうございます!!!
あっという間だったと感じるのに、
そこからの道程の内容の濃さに、あの記者会見が凄く遠い日のようにも感じる。
彼のことを考える度に思い出すことがある。
私の同級生の言葉だ。
大学に入ってしばらくした頃だったと思う。
彼は我々クラリネットの中で『天才少年』と呼ばれてきた人物だったが、ある日ふと、こう言ったのだった。
「音楽なんて、男子が一生の仕事にするようなものかな、と思う」と。
それは多分に自虐を込めての言葉だったと思うが、私はカチンときた。
様々な、何重もの意味で抗議すべき言葉だと思い、多分、切って捨てるような言葉を投げつけたように思うが、その後の会話を覚えていない。
遠い遠い日のことだ。
フォローさせてもらうと、彼はとても真面目で、正義感も強く、ちゃんと考える人だった。
彼の家は医者の家系だったし、当時は共働きという考え方も少ない時代だった。
だから、あの言葉は彼の中の様々な鬱屈が、そのような表現になって出てしまったのだろうとは思う。(それで問題が消えるわけでは無いけれど。)
その後プロとしてオーケストラで活動して、先頃引退した彼が、今どう思っているのか聞いてみたいとふと思うことがある。
『一生を賭ける仕事』。
彼の言葉に反発しながら、実は私は彼よりもずっと、音楽を『一生を賭ける仕事』にする覚悟が無かったのだと、今になって痛切に感じる。
少なくとも彼はあの時点で、『一生を賭ける仕事』として、音楽を認識していたからこその言葉ではあったろうから。(そこに性別は関係ないことは、明言しておく。)
私はその覚悟を以て努力をしたか?
そのために自分の殻を破るための挑戦
ーーそれは自分の予測できない世界に飛び込む恐怖を乗り越えなければならないことだーー
をしたか?
答えはノーだ。
努力はした。
挑戦もした。
そして結婚前には、細々ながら、それだけで食べていけるだけの収入もあった。
けれどそれは、すべて自分が《出来るとわかっている》範囲のものだった。
そのことに気づかせてくれたのが競技時代の羽生選手だったことは、ずっと以前の記事にも書いたが、彼がプロに転向後、それは更に顕著になった。
出来るかどうかわからない挑戦ーー羽生選手の場合、それまで誰も思いつきさえしなかった挑戦だーーを実行すると決意し、それを《実行するため》の努力をし、そして実現させてきた2年間だ。
その彼の姿は、あまりにも壮絶で、そして私にとって、目が眩むほどの輝きだった。
羽生選手の生き方に思いを馳せる度、前出の同級生の、その時の彼に問いかけてみたいと思うのだ。
音楽ではないけれど、恐らくあなたの中では同じ括りになるだろうアイスショーに、その時々の全てーー命までもーーを賭けている人がここにいる。
彼の生き方をどう思う?と。
その問いは、私自身にも向けられているのだけれど。
また、この2年間『プロ』という言葉の重みについても、改めて考えさせられた。
音楽を仕事とする、ということは、取りも直さず『プロ』ということだ。
しかし、昨今、アマチュアの人でも謝礼をとってレッスンしたり演奏する方もあるから、果たして『プロの演奏家』の定義とは、何だろう?と考えることがある。
これについてはいくつかの線引きが可能だと私は思っているけれど、最も大きな相違点は、『責任』ということだろうと思う。
音楽大学を目指す子供さんを、アマチュア演奏家につける親御さんはいないだろう。
演奏においても、アマチュアの方なら許される失敗でも、プロには許されない。
プロの仕事には、『責任』が伴うのだ。
(アマチュアの中にも、プロに匹敵するくらい素晴らしい演奏をする方もあることは知っているが、それはそれとして、の話だ。)
羽生選手の2年間は、この上なく重い責任を負っての歩みだったと思う。
彼はアマチュア時代でもアイスショーではプロだったと思う。常に期待以上のものを全力で見せてくれた。彼が観たくて足を運ぶ観客が多いことを自覚し、責任も感じてきたことだろう。
その彼がプロになって実現させたのが、
単独公演だ。
そのために当日まで費やしてきたスタッフのエネルギー、時間、会場にかかるものも含めての費用、、、。
全てが桁違いだ。
それらすべての責任を負ってやり遂げること。
それを観客に満足してもらう内容でやり遂げること。
これは、とんでもない事だ。
しかも、RE PRAYではそれをツアーで実現させた。
これはプロ中のプロの仕事だ。
まずこんなことを考えつかないけれど、
もし考えついたとしても、怖くて誰もやれない。
そしてその内容たるや!!
正直、度肝を抜かれた。
これまでは『夢の世界』、一種のおとぎ話の世界だったアイスショーに、羽生選手は『現実世界を生きる』視点を持ち込んだ、と言っても良いのではないかと思う。
彼自身の、ひいてはすべての人が感じているであろう、生きる上での現実の葛藤が描かれたのだ。
現実の世界での葛藤と、それが解決されるわけでなくとももたらされる希望。
それは有る意味当然かもしれない。
スケートは、彼がそこで生きている現実なのだから。
彼は同じ痛みを知っている人々に、希望を伝えたかったのだと思う。
そういう意味で、彼は常に『寄り添う人』だと感じる。
彼はどこまでゆくのだろう。
この二年間観させてもらったものは、あまりにも
スケールが大きく、実際にその本当の凄さをよくわかっていないのではないかという気がする。
ただ私にわかっているのは、私はGIFTでこれまで見てきた中で(オペラや劇等々含め)最も美しく、心に残る舞台を観させてもらったし、RE PRAYでは感動しつつ、頭がぐちゃぐちゃになるくらい、様々なことを考えさせてもらったということだ。
こんな濃密なものを『ショー』と呼んで良いのか、と思うくらいだ。
この先にどんなものが待っているのかわからないけれど、ただワクワクして待っていたいと思う。
どうか次の一年が、羽生選手にとって佳き日々となりますように。
心からの祈りと感謝を込めて。