今日は久しぶりに何も予定が入っていない日だったので、思い立っていつもの港に来てみた。
生憎雨がかなり降っていて、対岸は灰色のベールの向こうだ。
そのベールの間を、コンテナを積んだタンカーが通ってゆく。
風が強いせいか、空は白く明るい。
さっきまで石畳の上で、雨の中、何か相談でもしているかのようだった鳩達も、何処かへ飛んでいってしまった。
道端にオレンジと白の花が揺れている。
私は海峡の見えるカフェに座って、コーヒーを飲みながら、心の中に先日から居座っている幸福感を客観的に言葉にすることが出来るだろうか?
と考えていた。
この幸せは、宮城公演のライブビューを観てからずっと私の心を満たしていて、それはその直後にもたらされた、先日の仕事でクレームが発生したという連絡、話がすすむうちに判明した間に立つ人の裏切り行為などのぐちゃぐちゃな場面でも、変わることが無かった。
この、根っこが生えたような幸福感は、一体どうしたことだろう?
勿論、これがずっとここにあるとは思ってないけれど。。。
今までも、羽生選手から大きい幸せを貰ったことは何度もあった。
でもこれは、それらとはどうやら少し違うらしい。
雨が小止みになったようだ。
雲の一団が、まるで意志のあるもののようにこちら側に行進してくる。
私は幸運にも、今回埼玉2公演、佐賀は1日目を現地で観ることが出来た。そして横浜最終日、宮城最終日をライブビューで観た。
(実は佐賀二日目は、怖くてテレビの中継さえも見れなくて、神社に行ってたヘタレです(汗))
最初の埼玉は予備知識無く観たわけだが、展開されるストーリーが漠然と予想していたものと全く違って、重い内容だったことにまず衝撃を受けた。
これは、裏にあるゲームの内容を知らなくては理解出来ないだろうと、ゲーマーさん達が上げてくれる情報を漁った。
彼の演技内容にも驚かされた。
鶏蛇の斬新さ、禍々しいほどの美しさや、スピンによるメガロヴァニア等々。
演技の感想の詳細については以前にも書いたのでここでは詳しくは触れないが、メガロヴァニアや破滅への使者は、その背景を知っているのと知らないのとでは、やはり見方が変わるだろう。
その時は私はサンズもクジャも知らなかったのだ。
それでもーーストーリーだけでなく、全体のイメージが、観る側にとってまだ漠然としていたのだと、今ならわかる。
佐賀は、絶対行かなければ、と思っていた。
地元と言っていい場所だし、何より羽生選手の精神状態が心配で、応援の気持ちを届けたいと思っていたから。
驚いたことに、彼は、全体をブラッシュアップしてきていた。全体の流れがより明確になるように、細部を工夫してきていた。例えば、《いつか終わる夢》と《いつか終わる夢:Re》の埼玉とのイメージの違い。一番変わったと思ったのはメガロヴァニアで、埼玉では演技の構成に目がいったが、佐賀ではダイナミックなイメージに変わったと思う。照明などの変更、彼自身の演技のブラッシュアップの成果だろう。
破滅への使者は、6練の時から足を気にしているように見えて心配していたのだけれど、やはりジャンプについては残念だったと言うべきだろう。これだけのプログラムをやる中で、やはり無理があるのではないのか、、、そんな考えがよぎったのは事実だ。足の状態が、それを許さないのではないのか。そう思って、いてもたっても居られない気持ちになった。
しかし後半は、そんな気持ちを綺麗に忘れさせるような、素晴らしい演技だった。
特に私は、《あの夏へ》の演技が忘れられない。
埼玉で、後半のストーリー展開に少し説得力が弱いのではないかと思っていたが、あの演技を観て、その説得力は演技に持たせているのだと感じた。
《あの夏へ》のこの時の演技で、『命の水』という言葉が、私の中にストンと入ってきた感じがあった。
横浜の初日、ツイで上がる感想や情報で、彼がとうとうクジャをノーミスで演じ切ったことを知った。全く、本当になんて人だろう!
彼の本質は、競技時代から本当に変わらないのだということに、改めて驚嘆し、そして嬉しかった。ゾクゾクした。
次の日のライブビューで観て、このストーリーで破滅への使者がクリーンに演じられることの意味を実感した。それがあることで、後半の演技の感じられ方が変わってくるのだと思った。
前半の個々の演技については、以前詳しく書いた(まだ途中なのだけれど(汗))ので、ここでは触れないが、終わって、これでRE PRAYは完成された、と思った。
ところが。
宮城最終日のライブビューで、それが間違いだったと思い知らされたのだった。
私はこの日まで、常に細部の意味を探りながら観ていたと思う。見逃しているストーリー上の意味を。
でも、この日、私はそのことを全く考えなかった。考える必要が無かったのだ。
それは、ここまで会場で、ライブビューで、テレビで何度も見返してきたこと、色んな方の情報や考察、感想などを読んで蓄積したものが私の中にあったことも大きかったと思う。それが、ツアーの醍醐味の一つなのだと気付かされた。
しかし、私が思考を奪われたのは、何より彼の演技のせいだったと思う。
私は感じるだけで良かった。
彼の演技から伝わってくるものを、何と表現したらよいのだろう?
そこにあったのは、言葉より遥かに雄弁なものだった。言葉が取りこぼしてしまうものたちが、そこには存在していた。
どの演技も、私の心に直接語りかけてきた。
そうして、わたしの心の中にあったものが、それに反応して次々に浮かび上がってきた。
だから、考える必要がなかった。
私はただ、感じた。
それが、私のストーリーだった。
ストーリーは私の中にあったのだ、と思った。
細部への興味は、勿論今でもある。
だから、攻略本を楽しみにしていることに変わりはない。
でも、一番大事なものは、受け取ったのだと思う。パズルのピースを探し求めて、それが無ければこのストーリーが理解出来ないという焦るような感覚は、今の私にはもう無い。
これがツアーでなければ、こんな風な感覚を持つことは難しかったろうと思う。
ここまで深く掘り下げられた内容と、それを完成させるために不可欠な、しかし実際本番をやらなければ不可能なブラッシュアップを繰り返し、私達観客もその過程を共有して初めて到達出来る、こんな世界があったのだ。
私はきっと何度でも、ここに帰ってくることが出来るだろうと思う。
何故なら、RE PRAYのストーリーは、私の中にあるのだから。
ゆづ、あなたは本当に凄い。
一体何者なのかと思う。
でも。
アンコールの凄く真っ直ぐで可愛いあなたも
大好きです。