昨年のnotte stellataは、行けなかったので、今年は絶対行こうと最初から決めていた。
幸い、日曜日を友人が当ててくれて、行くことが出来た。
最近、いろんな事が押し寄せて来ていて、
自分が思っているよりずっと疲れているのだと
気付いたのは、彼が『ダニーボーイ』を滑るとわかったときだった。
彼のダニーボーイを観たい。
そう思った瞬間、胸の奥から何か込み上げてくるものがあった。
自分でも驚いた。
私は、こんなにも癒されたいと思っていたのだ。
その気持ちに蓋をして、頑張っていたらしい。。。
公演は素晴らしかった。
彼のスケートは、私の心に染み入ってきて、
最初のnotte stellataから、私は涙ぐむのを抑えられなかった。
カルミナ・ブラーナも、ダニーボーイも、希望の唄も、全てが想像以上だった。
ああ、、私はこれが観たかったんだ。
私はとても幸せだった。
明日からの日々、また頑張れる。
その中で、彼が言った、
「明日は暗い日になると思う」という言葉。
私は咄嗟にわからなかった。
彼が次に続けた言葉で、ああ、明日は3月11日だった、と我に返った。
この公演は、勿論そういう公演だった。
私は笑いはしなかったけれど、同じ様に咄嗟にわからなかった人はいらしただろうと思う。
その時点では、直ぐに気付けなかったことは残念だったとは思ったけれど、自分が受け取ったものと、3.11のことを思うこととが、矛盾するとはこれっぽっちも思わなかった。
しかし、帰り道で、ツイッター上であの時の笑い声に非難の声が挙がっていて、なかんずく、
彼が311.に対してどんな想いを持ってこの公演に臨んでいるかを思わないような人には、彼のファンを名乗る資格は無い、というような内容が上がっているのを知った。
彼がこの公演にあたって抱いている気持ちは、私なりに理解しているつもりだ。
しかし、私は自分が気づいてしまった心の荷物で、いっぱいいっぱいであそこに座ったのだ。
そして、あの時
私は笑いはしなかったけれど、咄嗟にそこに思いが至らなかった点では同じだ。
ならば、私が今日、彼から受け取ったものは、
私には受け取る資格がない、ということになる。
notte stellataが、最初から最後まで
被災地を思う為のもので、それ以外の感情が入ってはならないのであれば、私はこの贈り物を受け取ってはいけないのだ。
私は私自身の為に、この贈り物を受け取ったのだから。
そう考えただけで、涙が出て来てしまう。
本当に素晴らしい演技だった。
でも、それは私の為のものではなかった。
彼がどう思っていたかは、わからない。
私はそうではないと思っていたけれど、
今はわからなくなってしまった。
notte stellataは、被災地を忘れない、風化させないという意味で、とても意義のある公演だと思っている。だから、ずっと続いて欲しいと、心から願っている。
けれど、そこに集う人々の背景は様々だ。
その様々な人々が集って、それぞれの距離感で、少しでも被災された方々のことに思いを馳せることが出来る、ということが、この公演の素晴らしいところだと思う。
そこに線引きが必要だろうか。
笑った人の背景も、様々だった筈だ。
少なくとも私は、今回その線引きの外にいたのだと、今感じている。