先日一緒に飲みに行ってからすぐにシウォンの方は忙しくなったようだ。
何度かメールで連絡はあったものの同じ会社に居て顔を合わせることもない。
プログラミングチームの部屋に顔を出せばよいだけなのだろうが、忙殺されているのは容易く想像がつくし、そもそも邪魔をしてまで顔を合わせる用事もない。
ない。
ないのだけど。
そろそろキュヒョンの方も煮詰まりかけているのだ。
ちょっと面白いことの一つや二つ起きてくれないだろうか。
なんというかシウォンと居ると面白い場所に出くわすのでありがたい。
身体を伸ばすと隣から声がした。
「ちょっと息抜きしてくれば?」
「ですねぇ。休憩して来ようかな」
この部屋にはコーヒーサーバーしか置かれていないため、キュヒョンはもっぱら休憩室か外に出ることが多い。
先日シウォンに教えてもらったカフェにもけっこうな頻度で通っている。
紅茶が好きなキュヒョンが色々訊ねるものだからマニアと言っても過言ではないマスターが嬉々として茶葉の事を教えてくれて、今ではすっかりなじみになってしまった。
休憩室の前を通りかかると栄養ドリンク片手に項垂れるシウォンと、その横で眠そうな顔をしてエナジードリンクを飲んでいるスルギ。
視線が合ったスルギが両手で手招く。
中に入るとニヘラと笑ったスルギが両腕をシウォンの方に向けた。
「王国の落ちぬ太陽チェ・シウォン陛下はこちらに」
シウォンはキョトンとスルギを見て、そのままキュヒョンに視線を向けると『何事』と口を動かした。
「…何。今やってるゲームに貴族でも出てくるのか?それとも流行りの悪役令嬢が出てくるラノベでも読んでるとか?」
「どっちもでーす」
「どっちもかよっ!」
シウォンは感心したように「通じてる」とつぶやく。
「翻訳すると、プログラミングチーム長はここに居ますよ、だと」
「大正解」
「全然解らないよ」
「解らなくても問題ないと思うけど」
自動販売機にコインを入れながらそう言うと砕けた言葉にスルギがおやっと首を傾げる。
「なんか…仲良しさんですね」
「付き合ってるから」
「あー…そうでしたぁ。じゃあ、邪魔者はお先に部屋に戻りますねー」
ゴミ箱に缶を捨てて休憩室を出ていくスルギにシウォンが声をかけた。
「無理するなよー」
「先輩が言いますか。それに多少の無理はします。自分の楽しみの時間のために。だけど無茶はしませんからご安心ください」
「違うの?それ」
「はい。キュヒョンさん翻訳」
「…推し活のための時間と資金のために頑張れるけど、自分の限界以上のことはしないってこと、かと」
「さすがです!ではごゆっくり」
満面の笑みでサムズアップしたスルギは軽い足取りで自分の部署に帰っていった。
シウォンは難しい表情を作ったままだ。
「また帰れてないの?半熊だ」
隣に腰掛けながら言うと更に首を傾げる。
髭は伸びてはいるが着ているものは清潔そうだし、ただ面倒なだけなのかもしれない。
「なによ。ハンクマって」
「そこは気にしなくて大丈夫」
紙コップに入ったミルクティーを啜ってシウォンの隣に座るとシウォンがフッと笑う。
「キュヒョン、今週末予定ある?」
「特には無いけど」
「じゃあデートしよう」
「デートかぁ。何処か行きたいところでも?」
「キュヒョンが絶対好きそうなところ?」
何故に疑問形。
でもまぁ、自分のことは自分にしかわからないから疑問形も間違ってはいないのか。
「で?付き合ってくれる?」
「こっちもそろそろ煮詰まりそうなので、寧ろ助かります」
声を出して笑ったシウォンがゴミ箱に瓶を捨てて、首を左右に倒した。
「僕はともかくシウォンさん大丈夫なの?」
「ん。なんか先方が納期早めて欲しいって言われたみたいでさ。今日中にカタは付きそうだからなんとかなりそう」
「ゆっくり休んだほうがよくない?」
「でもさ。予定ある方が頑張れる気がしない?しかも楽しみなことなら尚更」
「…何気に思ってたけどシウォンさんってホントに人たらしだよね」
「俺?君じゃなくて?」
いやいやいや。
自分にその要素は無いだろう。
何を言ってるんだこの人は。
「でさ。ちょっと電車とかじゃ不便らしくて、当日キュヒョナの家の場所教えてもらえれば迎えに行くよ」
「シウォンさん、車持ってるの?」
「一応ね。普段は電車使うんだけど、今みたいにいつ帰れるかわからない時には車の方が便利だし」
そういえば休憩室の窓から駐車場が見えたはずだ。
立ち上がって窓に近づく。
「シウォンさんの車どれ?」
「道路側から3台目」
言われた場所には紺色のセダンが納まっている。
「いい車乗ってるなぁ」
「頑張ったんだよ」
「なるほど…。一つお願いしたいことが有るんだけど」
「何?」
「当日は髭剃ってきて」
予想外の言葉だったのか、シウォンが「は?」と小さく呟いて固まった。
「うん。どうせならスッキリ男前の隣に並びたい」
「なんだ、それ」
声を出して笑っているシウォンに気を悪くした様子はなさそうだ。
「キュヒョナって何だかいつも予想外で面白いなぁ」
「褒められてる気がしない」
「そう?一緒にいて楽しいって褒め言葉と同様のつもりだけど」
シウォンの手が自分の頭に乗せられてトントンとタッチされる。
まるで子供にやるようなその仕草が心地好くて何だか照れくさい。
心地好いから子供扱いするなという文句も言えないじゃないか。
どうしたものかと思案していると声が休憩室に近づいてくる。
「シーウォー二ーヒョーン!!!」
開ききらないドアに思いっきり足を打ち付けてその場に蹲る青年は、確か先日新しくプログラミングチームに配属された新人だ。
「いったーい!!!」
「え…ちょっと、大丈夫かリョウガ」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫!それよりデモにバグ出た!」
顔を手で覆って天を仰いだシウォンが呻きに似た声を出した。
「マジかぁ」
「僕で対応出来そうなところは修正したけど、ヒョンの方が多分早い」
「了解。じゃあ、また連絡するよ。キュヒョナ」
片手を挙げて、休憩室を出ていくシウォンの背中を追うように出て行く新人がこちらにペコリと頭を下げる。
「邪魔しちゃって、すみません」
「あ…。いや、大丈夫です」
ニッコリと笑った彼の表情が柔らかくて、癒やし系という言葉が浮かんだ。
もう少しシウォンと話がしたかったな、とは思うけど急ぎの仕事であの状態を引き止める訳にもいかないし、そもそもただ息抜きしているだけなのだから引き止める理由もない。
そこではたと気がついた。
なるほど自分がシウォンと話している時間は息抜きをちょっと上回っている何かなのだろう。
だからもう少し話がしたかったなんて思うんだ。
やっぱり紙コップのミルクティーは味気ない。
空になった紙コップを握りつぶしてキュヒョンは休憩室を後にした。