現代文の授業では、教科書の内容に沿って流れを板書する方法が一般的である。

 

いわゆる「文章の流れ」を説明する構造である。

 

しかし私はこの板書が昔から苦手だった。

 

自分の理解の助けになっている実感がなく、ノートに書く意味もわからなかった。

 

これは私自身の資質の問題もあるだろう。

 

しかし、自分で納得できない以上、自分の授業でこれを取り入れることもできない。

 

私は現在、発問と答えだけを板書している。

 

そしてそこに、補足的に書き込みや構造図を書く。

 

発問に対し、なぜその答えになるのかが視覚的に理解できるような板書を目指す。

 

しかし、主はあくまでも問いと答えである。

 

これを補足するために書き込みと構造図を描く。

 


授業を行うとき、発問などを考えるが、それはデータとして残しておく。

 

なぜなら授業で扱う教材は「定番教材」があり、来年度以降も授業する可能性があるからだ。

 

二回目以上になると、前回の発問や組み立てを振り返り参考にすることができる。

 

しかし、あまり手の込んだものにすると長続きしない。

 

そこで、データはできるだけシンプルなものにするのがよい。

 

授業の流れや組み立てが定まっているならば、発問だけでもよいかもしれない。

 

また、このデータはプリントアウトして、授業に臨むまでに何度も見返し、ブラッシュアップできるようにする。

 

また、私はプリントに教科書本文を印刷し、授業中に見ることができるようにしている。

 

常に見るわけではないが、発問を板書するときなどは文言を間違えないようにプリントを見ながら書く。

 

授業中に「アンチョコ」を見るのは指導力がない証拠だ、という意見もある。

 

以前は私も「アンチョコ」なしの授業を目指していたが、授業は結局生徒が満足するものであればよいと思うようになった。

 

「アンチョコ」は、ありかなしか。

 

そのことは結果(授業)が決めることであり、私は今のスタイルが気に入っている。

 

 

教室に入り、挨拶をする。

 

「今日は、ミロのヴィーナスの2時間目ですね。今日から詳しい読解に入ります。」

 

「まず、本文を読んでから入りましょう。ペアの人、この列はこの列、この列はこの列と。一文交代で読んでください。三段落まで読んだペアから座ってください。はい、それでは全員起立。」

 

ペア音読が続く。その間、ペア音読の様子を確認し、大丈夫そうであれば、発問を板書する。

 

音読終わり。

 

「今日の問いはこの三つです。いつものように該当箇所を確認してラインを引いて、ノートに視写してください。それが終わったら解答を考えましょう。しばらく時間を取ります。」

 

机間巡視。生徒の中にはとても惜しい解答もあれば、模範解答を超えるようなものもある。

 

主発問に対して二人ほど指名する。「これ、書いてきて。」

 

嫌がる生徒はいない。なぜなら、板書指名を受けるということは、どこかしら核心を突く内容が含まれていると理解しているからだ。

 

指名した生徒が板書を始めるころ「それじゃ、近くの人の答えと見比べてごらん。」

 

指名した生徒の板書が終わる。

 

「それじゃ、そろそろ一緒に見ていこうか」

 

ここから解説。こんな流れですね。

 

でも、現代文の授業としてはかなり変わっていると思います。