教員を長くやっていると、授業内容が繰り返しになってくる。

 

この内容はこの学年でやって当たり前、という考えに無意識に陥る。

 

しかし生徒にとって学習内容は未知。

 

だから、趣旨の説明は大事だ。

 

学習内容の意味を説明する。

 

短くてよい。

 

生徒が退屈しそうな単元や授業にはこれがとても大事だ。

 

昔からやってきた、ではなく、なぜこれをやるのか?

 

これを考えることは教員自身にとってもとても意味がある。

 

私の教科で言えば、漢文はなぜ勉強する必要があるのか?

 

これに答えられなければ生徒が納得しないのも当然である。

最近ICTが普通になってきた。

 

授業でプロジェクターを用いる先生も多い。

 

私は基本的に使わないようにしている。

 

なぜか?

 

一言で言えば、依存するものを増やさないほうがいいと思っているからである。

 

また、機器を準備するのに時間がかかるし、接続トラブルなどの不測の事態も起きやすい。

 

また、「停電になったら使えない技術」が単純に嫌だという気持ちもある。

 

そもそも授業はチョーク1本でできるのが理想だ。

 

あらゆる機器を用いる利点をチョーク1本に込めるのが技術だと思う。

 

たとえば全国トップの予備校講師がなぜオンラインで絶大な結果を残せないのか?

 

それは、言葉以外の、教室の雰囲気や生徒との関係、生徒の気分、そんな身も蓋もないアナログな要因が根底にある。

 

非言語コミュニケーションを有効に使えないのだ。

 

目の前の生徒がどんな生徒かわからない状態で授業をする。これほど難しいことはない。

 

私は非言語コミュニケーションに最も対応できるのは対面でのチョーク1本だと思う。

 

 

電子辞書が普及した。我々はいつでも電子媒体にアクセスできる。

 

それでは、本気で本を読もうと思う人が選ぶのは紙か電子か?

 

今のところ、ここに答えがある。

授業では生徒の関心を引くことが重要だ。

 

もちろん生徒の自主性は必要なのだが、教える側も生徒の興味関心を高める努力は大事だ。

 

このとき、易しい問いから始めることがポイントである。

 

題名は何と読みますか?

段落はいくつありますか?

登場人物は誰ですか?

 

場面によって変わってくるだろう。

ここで、生徒と問答し、コミュニケーションを図る。

授業内容についていけると実感させる。

 

そして、本題となる問いを考えさせる。

このプロセスは凡庸に思えるが、教師は忘れがちだ。

いきなり本題に入りたくなる。

 

しかし、いきなり本題に入ると生徒にとっては難しい。

易から難、これは授業の鉄則に入れていいと思う。