生徒の中には、現代文は曖昧で、答えがない教科だと思う生徒がいる。

 

このような認識のままでは、現代文の力はつかない。

 

であればこそ、現代文という教科の性質を説明する必要がある。

 

現代文は、読むことと書くことが主眼をなす教科である。

 

そして読むことの内容は、書いてある内容を正確に読み取ることが主眼になる。

 

たとえば、小説のテスト問題で、人物の心情を問う。

 

そのとき、生徒が陥りやすい誤解が、思い込みで正解にたどり着いてしまうと言うパターンだ。

 

たとえば、重松清氏の作品「カーネーション」。

 

主人公の男性は再婚相手を子どもたちに紹介しようと考えるが、再婚相手の女性は子供たちが自分を受け入れてくれるかわからないと考え思い悩む。

 

このとき、子どもたちが再婚についてどう思うかはまだ書かれていない。

 

しかし「子どもは再婚を望んでいない」と考える生徒は多い。

 

これは一般常識ではそうかもしれないが、思い込みなのである。

 

このような思い込みではなく、書かれていることを正確に読み取る。

 

これが現代文の大前提であり、付け加えて言えば、書かれていないことは正解にできないのである。

現代文で解説するとき、最も必要とされるのは適切な「具体例」である。

 

たとえば、「皮肉」という言葉を説明するとき、辞書的な説明をしても生徒はピンとこない。

 

しかし「〇〇君は幸子さんのことを不細工だと思っているのに『かわいいですね』と言ったら皮肉です」

 

などという具体例を挙げられるかは重要であり、これも授業準備の段階で考えておくことができる。

現代文の授業では、次の観点で考える。

 

①問いを三つ立てるとしたら、どの問いにするか。

 

②易→難の構成になっているか。

 

③主となる発問に向けて関連性のある構成になっているか。

 

④時間配分は適切か。

 

⑤生徒の集中が欠けそうな部分はどこか。

 

⑥主発問の解説に自信が持てるか。

 

これらに配慮すれば、授業は作れると思う。