・・The XX Files 20th.
Please Don't Korea❗️
True ・・真実は動き始めた
Han-nichi is Never Over⁉️
This is a Fact
Go Now ‼️ No Times❗️No Place⁉️
Sub Title "The beginning of history.Han_nichi_Labo_Station"
SumerJapanese Suite Lounge.
(FunnyBomb).
■巨人の王貞治引退
昭和55年(1980)11月4日、ホームラン王、一本足打法の王貞治(台湾人)が現役引退。
■近藤真彦レコード・デビュー
昭和55年(1980)12月12日、ジャニーズ事務所所属の近藤真彦が「スニーカーぶる〜す」でレコードデビュー。ミリオンセールの売上げを飾る。田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人は「たのきんトリオ」と呼ばれ、3年B組金八先生でレコードデビューより前に、俳優デビューを叶えている。
■第22回日本レコード大賞
昭和55年(1980)12月31日開催。
受賞曲は、八代亜紀の「雨の慕情」。
最優秀新人賞は、田原俊彦の「ハッとして!Good」。
編曲賞に、沢田研二の「TOKIO」。
作詞賞に、武田鉄矢(海援隊)の「贈る言葉」。
■サラリーマン年収
(出典:賃金構造基本統計調査(厚労省)残業代、ボーナス等を含む。又、従業員10人以上の企業と役所を含む平均年収。)
昭和55年(1980)2,943,100円
■レーガン政権発足
昭和56年(1981)1月21日、米国でカーター大統領の後任にレーガン大統領が就任します。
レーガン政権は、経済政策では、マスコミからネーミングされたレーガノミクスを断行し、大幅減税と積極財政により経済回復を目指してインフレ脱却を図ります。
外交では、冷戦下にあって"力による平和戦略"で世界的な反共運動支援に尽力し、英国の鉄の女・サッチャー首相、日本の中曽根総理、西独国のコール首相等との緊密な関係を構築。
ソ連を「悪の帝国」と呼び、真っ向から対立。
国防費を増額してSDI、通称・スターウォーズ計画を推進、宇宙からのレーザー衛星と地上の迎撃システム等との連携により大陸間ミサイルを撃墜できると言う防衛戦略を強調し、同時にゴルバチョフとの会談を数度にわたり行います。
これらの動きが、後にソ連崩壊に繋がっていきます。
レーガン政権は、平成元年(1989)1月20日まで続く。
■Space Shuttle・Columbia打上げ成功
昭和56年(1981)4月12日、米国政府のスペースシャトル計画により、NASA米国航空宇宙局が、世界初のスペースシャトル・コロンビア号を宇宙に向けて出発、地球に無事帰還する事に成功。
28回のフライトミッションが行われましたが、ラストフライトとなる平成15年(2003)2月1日の地球再突入時、テキサス上空で爆発し、乗員全員が死亡。
■マイクロソフト社開業
昭和56年(1981)6月設立。
米国ワシントン州に本社を置く。
当初は、IBM系コンピュータのOSを開発する会社でしたが、次第にIBMとは袂(タモト)を分かつ関係となります。
社長は、独国系米国人、ビル・ゲイツ。
平成5年(1993)5月、Windows3.1が日本で発売されます。
僅か2年足らずで、累計1億本を売り上げ、世界中にパーソナル・コンピュータPCを普及させる大きな原動力となりました。
■日テレ系番組「北の国から」放送開始
昭和56年(1981)10月9日、原作・倉本聡、監督・倉本聡、主演・田中邦衛、共演・吉岡秀隆、中嶋朋子、岩城晃一、地井武男等。世間では不朽の名作と呼ばれ、以来シリーズ化される。
■第23回日本レコード大賞
昭和56年(1981)12月31日開催。
受賞曲は、寺尾聰の「ルビーの指輪」。
最優秀新人賞は、近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」。
ゴールデン・アイドル賞に、河合奈保子の「スマイル・フォー・ミー」や柏原芳恵の「ハロー・グッバイ」他。
作曲賞に、寺尾聰の「ルビーの指輪」。
作詞賞に、寺尾聰の「ルビーの指輪」。
■CD発売
昭和57年(1982)、コンパクトディスク、CDが、ソニー、日立、DENON(日本コロムビア)から発売。
これを機に、レコードの売上げは一斉にCDへ転換し、レコードの生産販売は緩やかに終息を迎えます。
■中森明菜レコード・デビュー
昭和57年(1982)5月1日、芸能事務所・研音所属の中森明菜がシングル・レコード「スローモーション」でデビュー。
平成22年(2010)10月、芸能活動の無期限休止を発表。
平成26年(2014)12月31日、紅白歌合戦の出演で芸能活動を再開。
■中曽根内閣・発足
昭和57年(1982)11月27日、院政を敷いていた田中角榮元総理の後押しで、中曽根康弘内閣発足。以後、昭和62年(1987)11月まで中曽根政権は続き、自民党・単独の長期政権を樹立する事になります。
令和元年(2019)11月29日、中曽根康弘は他界します。
享年101歳。
官位は従一位。これは、中世・近世における、平清盛、豊臣秀吉、徳川家康と同格の位階です。
あだ名は、「政界の風見鶏」「大勲位」。
平成天皇から大勲位菊花賞勲章を授与していますが、この勲章は日本では最高峰の勲章で、皇族や総理大臣経験者に授与される例が殆どの様です。
同じく受賞した者の中に、吉田茂元総理、佐藤栄作元総理、大隈重信元総理、山本権兵衛元総理、東郷平八郎・連合艦隊司令長官等がいます。
昭和22年(1947)、衆議院議員に初当選。
レーガン大統領とは、ロン・ヤス関係と呼ばれ、良好な日米関係を構築しました。
平成15年(2003)、当時の小泉総理に引退を迫られ、議員定年制を根拠に政界から引退。
歴代総理の中でも、稀に見る読書家であり勉強家で、同僚議員との宴席の話題はいつも政治と読書の話ばかりだった様です。
田中派らしく、議員立法や政策の勉強には余念がなく、ボスであるオヤジ・角榮と比べると、こちらは全く浮いた話のない愛妻家だった様です。
所謂、「クソ真面目」と言う奴です。
田中角榮が自認していた所謂、「保守本流」に対抗する言い方として、中曽根は「保守傍流」と呼ばれました。
まぁ、あの宮澤喜一も保守本流と評価されている事から言うと、どちらが上か下か、どちらが人間性として優れているかと言う事ではない様です。
■マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」リリース
マイケル・ジャクソン
昭和33年(1958)8月29日生まれ。
元は、黒人R&B歌手。
ヒットメーカーになるにつれて、ロック、ソウル、ポップス、ディスコ、ダンス・ミュージック等他ジャンルにも裾野を広げていきます。
歌唱力もさる事ながら、タップダンスやパントマイム等のティストも融合させ、独自の研ぎ澄まされたダンス・テクニックが万人から支持されたアーティスト。
昭和57年(1982)12月1日、アルバム「スリラー」発売。
日米英独、オランダ、カナダ、スウェーデン、ニュージーランド各国のチャートで1位となり、約6500万枚をセールスし、ギネス記録で「史上最も売れたアルバム」に認定される。
収録曲のうち、7曲が全米チャート・トップ10入りとなります。
第26回グラミー賞では、7部門の賞を受賞。
昭和60年(1985)3月8日、アフリカ飢餓救済の為、チャリティーソング「We are The World」をリリースし、スティービー・ワンダーやボブ・ディラン、ケニー・ロギンス、ブルース・スプリングスティーン、クインシー・ジョーンズ、エルトン・ジョン等々、個性豊かな全米のメジャーアーティスト45人が収録に参加し、トップセールスを収めます。
やがて世間から「キング・オブ・ポップ」と呼ばれる様になります。
晩年は、幼児への性的虐待や裁判、結婚離婚等、スキャンダルが絶えない日々が続き、平成21年(2009)6月25日、自宅で死体となって発見されます。薬物中毒が原因でした。
享年50歳。
因みに、wikiによると、マイケルは、何度も訴追を受け、裁判で被告人席に着きますが、有罪判決を受けたことは一度もなく、又、幼児虐待の疑惑については、10年以上の捜査と監視を行ったFBI連邦犯罪捜査局が、最終的に無実だったと結論づけていると言います。
■ハリウッド映画「E.T」公開
昭和57年(1982)12月4日、日本公開。
監督・スティーブン・スピルバーグ、出演・ヘンリー・トーマス、ディー・ウォレス。
配給・ユニバーサル映画。
興行収入135億円。配給収入・96億2000万円。
■第24回日本レコード大賞
昭和57年(1982)12月31日開催。
受賞曲は、細川たかしの「北酒場」。
最優秀新人賞は、シブがき隊の「100%SOかもね!」。
最優秀歌唱賞に、大橋純子の「シルエット・ロマンス」。
編曲賞に、中島みゆきの「悪女」他。
■ Space Shuttle・Challenger打上げ成功
昭和58年(1983)4月4日、NASA米国航空宇宙局が、コロンビア号に続くスペースシャトル・チャレンジャー号の打上げに成功。
10回のフライトミッションが行われましたが、ラストフライトとなる昭和61年(1986)1月28日、フロリダ州のケネディ宇宙センターから発射直後、機体爆発により実験失敗、乗員全員が死亡。
■ファミコン発売
昭和58年(1983)7月15日、任天堂から発売された家庭用テレビゲーム機器が爆発的セールスを記録しました。
当時、ゲームセンターで人気を得ていたドンキーコングが自宅で出来る事が大当たりします。
ファミコンは、その前段のゲーム・ウォッチの売上げ収入を投入して開発された商品でした。
他のアーケードゲームが広く移植され、リリースされますが、やがて世間的に高い知名度を誇る事になる「スーパーマリオ・ブラザーズ」が家庭に普及していきます。
■第25回日本レコード大賞
昭和58年(1983)12月31日開催。
受賞曲は、細川たかしの「矢切の渡し」。
最優秀新人賞は、THE GOOD-BYEの「気まぐれONE WAY BOY」。
最優秀歌唱賞に、森昌子の「越冬つばめ」。
ゴールデン・アイドル賞に、小泉今日子の「艶姿ナミダ娘」やシブがき隊の「ZOKKON命」、中森明菜の「禁区」他。
■風の谷のナウシカ上映
昭和59年(1984)3月11日上映。
宮崎駿監督の知名度を上げる事に繋がる映画となる。
宮崎監督は、この頃から終始一貫して自身のアニメ作品を、「アニメ・漫画」とは言わず、映画と呼んでいます。
配給収入約7.4億円。配給国世界9ヵ国。
制作は、意外にもスタジオジブリではなく、トップクラフトと言う会社です。
東映から配給されました。
乱筆乱文長文をここまで読んで下さった、奇跡の人には謝意を表します(爆)
出典:vol.15参照